無意の意

By: C

1月 01 2008

Category: 雑談

 思い切り遣る気のないトップ画像。

 ………いえ、文字にやるきの無さが漲ってませんか?

 やるきないなぁ、と思われたことでしょう? なに、この三十秒間ですらすら書きました的な文字は、と?

 そう、実にやるきのない文字です、どうしようもないぐらいに………

 しかし、こう考えてみてください。これは、もの凄い頑張って、やるきのなさ、に挑戦したという哲学的意欲作であると。

 そう、常に遣る気に満ちあふれる人間であるところの僕にとっては(この時点でツッコミをいれないよーに?)、遣る気の無い文字を書くというそれ自体がもはや困難なる挑戦なのです。
 真剣になろうとすればするほどにやるきなさを出すことが出来ないという矛盾、真剣にやるきのない文字を書くというその挑戦の頂きは、生半可な気概では立ち入ることすらできぬ、真剣にて立ち会う決闘の舞台に立ちながら体を弛緩させるという、死地に入る試みなのです。
 書こう、と意識してしまえば、それはやるきがない状態ではない――しかし、やるきがなければそもそも文字を書けるであろうか?という矛盾が心にじわじわと浸透してくる。この状況で文字を書いては、書く気を込めたかのようではないか。それではいけない。自分の意志でありながら、かつ文字をかこうという意志(やるき)がそこに全く感じられないような精神状況でなければ、達成すること能わぬ

 日々の研鑽が、弛緩した状態から不意にして拳を打ち出すがごとく――無意の境地。気付けば、文字は描かれていたのでした。時計の針をみれば、書き始めてなぜか三十秒ぐらいしか経過していないかに見えましたが、それは現実時間でのはなし。走馬燈のように人生がその主観的時間において六十年を刹那に見せてくれるかのように、長き戦いでありましあた………(遠い目)

 おしむらくは、これが無意にして達成された偉業であるがゆえに、わたくし自身にしてみれば、なんか気付いていたら書けていたみたいな感じにしか感じられないことであり、なんかやるきなさげにすらすら書いたのと似たような気がしなくもないのですが、おそらくそれは錯覚でしょう。きっと、だいたいにしてそういうものなのです。ほら、気付いたときには打ち込んでいた、みたいな?。それは挑戦の内容がら、致し方のないことでしょう………

 と、まぁ、そういう感じに書かれたと思ってみてください? おお、なんとすばらしい!とか欺さr思いませんか?

 …………というわけで、今年もこのように限りなく読んでいる人の視線を氷点下にまで冷やす意味不明な内容で、当サイトはふらふらとお送りしていく予定です(笑)

 ではでは~