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2006/03/02

 閑話。

 ソフトが落ちてしまって、一度書いたのが全部ダメになりまして、ものすごい凹みましたよっっっっっっっ!
 でも不屈の精神で書き直してみます。






 in Zoologischer Garten Berlin
 
 これはベルリン水族館で撮影したものです。三年前にも出しましたが、ログからは写真消しちゃってるよーなので、折角なので再掲。

 言ってはなんですが、これは水族館だからこういう風に豪華に作ってんじゃなくて、個人宅でもこんなふーにして飼ってる人は少なくないようです。いやマジで。

 勿論、プラケとかでずらずらと飼育している方もいるようですけどね。ってか、ブリーダーとかだとそうみたいです。かなりメンテナンスに絞ったスタイルで飼育しているようです。ヤドクなんかも、物凄い簡素っぷりに、呆れた事がありますしね………

 でも、そういう方でも、そういうのとは別に、こういうケースを数個置いて楽しんでいるようです。とはいえ、そんな詳しく知らないので、それが一般なのかどうかまでは知りません。
 というか、この場合、一般的かどうなのかはどうでもよい気もします。自分はどうするか、という話ですからね。周囲がどういうスタイルで飼育しているから、こっちも真似しよう、って訳じゃないですから。

 ところで、上にずらずら並べたテラリウムですが、幾つかの種類があるように思えます。

 一つ目は、環境再現よりもメンテナンス性に重点を置いているもの。
 一番下の左はキイロアナコンダですが、かなり簡素であるのがガラス越しでも分かると思います。洗浄しやすさを重視しての事でしょう。
 此と同じと思われるのがボアコンストリクトール(三段目の一番右)や、慥か記憶ではサルバトールモニター(二段目真ん中)です。ボアコンやサルバトールの棲息地を思い浮かべると、此のケージはどう考えても再現性に重きが置かれていないように見えます。

 上段真ん中やその右なども、かなり簡素ですが………これは、そもそも棲息している場所が殺風景なので、こんなものだって感じはありますね。
 だから、環境再現を重視しているようにも思えますが、右側のは、似合ってはいますが、やはり、それほど再現性に重きを置いたというより、メンテナンスの時の安全性や遣りやすさを重視しているように見えます。
 臆病な種にはシェルターを用意している(二段目左)のに対し、前の二つはシェルターを用意せずとも威風堂々としてる事が多い種だからでしょう、シェルターの類は用意してません。
 この辺は、取り扱いが難しいかどうかも関係していると思われます。


 二つ目は、下から二段目の右にあるようなタイプ。地面に潜るような種に対し、見栄えを重視してレイアウトしつつも、それよりも隠れ家内部の観察しやすさ(視認性)やメンテナンス性の方を重視するもの。蓋は、此の手のは金網に草や紐、布にプライマーで泥を塗りつける事で作っている場合が多いようです、こういうのは。

 潜らないと落ち着かない種――本来、自然下で隠れ家と、活動時間に外に出る場所というが明確に分かれていて、そうしないとストレスを感じるような種には、こうしたケージがよく割り当てられます。ガラスで内部が確認し易くなっているのは、水族館だからというだけで、普通はメンテナンスのアクセスがし易ければ、わざわざガラス窓などつけないですね。

 写真にはないのですが、ヒョウモントカゲモドキ用の180cmケースもこのスタイルで作られていました。まず此処に隠れるだろうという場所を用意し、擬岩で蓋をする、というスタイル。

 此の手の土台の素材には硬質発泡スチロールが使われる事が多く、削りとホットドライヤーの組み合わせで大まかな形を作り、表面に砂などを塗布して擬装します。まぁ、この擬装するところが僕の好みに合わないのですが、それはまた別のお話なので、ここでは割愛。
 ヨロイトカゲであるとか、そういう種の場合、こうした隠れ家が必要な割に、隠れ家の中を汚す事も多いので(特に臆病な時期には)、そういう種にはこういうレイアウトが使われる事が多いみたいですね。

 三つ目は、兎にも角にも環境再現をやりつくてしまおうというもの。上段左は、慥かチョウセンスズガエルの飼育繁殖に使われるケースで、180cmありました。奥行き60cmだったかな。カエル系には此の手のが多く、植物がわさわさ入っていたり、沢が再現されていたりというのが多いです。
 此の方向性での極めつけは下から二段目の左。真ん中のリクガメが入っているところで、広さにして二十畳ぐらいあったかと思います。その広さにリクガメが三匹だったと記憶しています。此処まで来ると、ケージと言ってよいのか分かりませんが………

 ヤドクガエルの場合は、躰のサイズが小さいので、それほど大きくないケージでも環境再現が出来ますが、その比率をそのままにリクガメに摘要させたような代物です。

 ホソツラナメラやタイワンスジオが入っているものの、ほぼ同じ。写ってませんが、木の洞のようなシェルターも用意してあって、この中で繁殖までさせてしまえる感じです。
 いやぁ………スジオを上みたいな風に全部飼えよ!と言われると、困りますね(苦笑)
 ちょっとなぁ………数が数だし………でも、レイアウトで飼うのはやりたくて、スジメアオナメラは、僕はこうやって飼育してますけど………ケースが今一つ好みではないので、いずれ改造したいところです。

 並べてみると、どれも同じような雰囲気ですが、テラリウムを作るにあたっても、対象とする生物に合わせていくつかのスタイルを適宜使い分けているようです。
 環境再現はせずにメンテナンス性や安全性を重視して、しかし見栄え良くであるとか、シェルター内部の清潔さが保てるようにしつつ、観察し易くしつつ見栄えよくしたり、環境再現をやれるだけやってしまったり。

 いやはや、ご苦労なことです。

 …………ところで、なんでこんな事しなくちゃならないんでしょうか。
 特に、一番最初のタイプだったら、どうせ、メンテナンス性を重視しているのです。何故、何をかっこつけてテラリウムにしなくてはならないのか。人工芝じゃいけないんでしょうか?

 日本の住宅事情を知れと言いたくなりませんか。(まぁ、日本と独逸の住宅事情の差は、僕は知りませんけど………そういえば、ドイツでお世話になった知人の家は、ちょっと広かったけれど、物凄い広い訳ではなかったかな。デンマークやオランダでお世話になった家は広いとはお世辞にも言えませんでした。USは、広いのでしょうけどね(笑

 そもそも、こんな風にして飼わなくったって、殖やせるものも多いのです。プラケか、コンテナあたりで終生飼育出来るし、殖やせるし………小さいのは100円ショップの米びつに入れておけばいいし。ヤドクだって、種類次第では、改造プラケで飼えない事はないのです(飼えない種は厳然としていますけど………)。幼体は、プラケで育成することも多いですが、普通に成長してましたし。
 今はダメでも、プラケでそうやって繰り返してけば、その環境に慣れるかもしれない。其の方がずっと楽です。
 というか、経済的ですよね、色々な意味で。

 水族館などがこうやってやるのは、人を呼ぶ為ですから分からなくもないとして………個人宅で、何故そんな無駄をしなくちゃならんのか。やらなきゃいけない理由が、あるのでしょうか。コーンスネークにすら広いレイアウトを用意して飼育するというあたりは、もう何がなんだか分かりません。何故、彼らはそんなことをしてるんでしょう。

 ――――まぁ、結局のところ、彼らが何故そうやってテラリウムを作成することに拘るのかというのは、訊いた事がないので僕には分かりませんから、自分の場合は何故だろう、と考える事しか出来ませんよね。

 なので、ちょっとぼんやりと考えてみましょう……何故、僕は、テラリウムを作成したいなどと思うのかということを。

(続くですよ〜、明日かどうかは分かりませんが(汗)

  

2006/03/03

 アッサムグリーントリンケットは、アソムグリーントリンケットにしなきゃいけないんですかねぇ………

 あそむ………じゅうまーん、ばりきーだー、ららら〜

 …………寒いな。風邪かな。
 あ、熱が39℃ですよ。これは知り合いのところへ出掛けて看病してもらわねば!<この思考パターンは僕の場合普通だったりします

 まぁ、アッサムの方が今の所響きよいので、今後もアッサムグリーンで行くですよ。まぁ滅多に話題には出ないからあまり影響はない気もしますが(苦笑)

 それはさておき、桃の節句ですが、思い切り現在ステキな感じに不調です。いや〜、ちょっと新しい世界が見えそうな勢いです。ドヴォルザークですね。

 でも雲の上だったり地面の下だったりしたらちょっと困るので、ちょっと休みです。二日ぐらい休めば………

 けっして続きが思い浮かばないから誤魔化そうとかそういうことではないので(いやまぁ、この時点で全然考えてませんし思いつきもしませんが………それが理由ではない!という意味ですよ〜)、そこのところよろしう(笑)

 甘酒でも飲んでちょっと療養しよ…………………ってか、去年あたりからずっと療養してる気がするけど(滝汗


 ……ここ数年じゃないの?と思った人は、ちょっと前に出てくれますか〜?(微笑みつつ


ゴキのケージでこういう遊びをするのはどーかと思う(苦笑)

2006/03/05

 続き&今日で終わりです(笑)

 多分、なんで必要性がない(ストレスによわく、そうしないと飼えない生き物という訳ではない)場合でも作るかなんてのは到ってシンプルであろうと思います。

 それが”自然であるから”という後天的に取得される感覚に依存しているのでしょう。

 端的に言ってしまえば、格好いいから。格好よい(可愛い)が正義!という感じでしょうか<その表現はどうだ。マシュマロか

 喩えるなら、豪華な料理は紙皿に乗っているより、ちゃんと料理の事を考えて作られた飾り皿に盛りつけた方がよい、って感じですね。飾り付けも料理の一部だ、と言うではないですか。

 だから、「食べれば同じじゃん」という意見の方とは、これはもう、「ああ、まぁ、そうですねぇ………」としか言い様のない話になります(苦笑)
 美食とか美術なんてのは、興味がない人にしてみればホントどうでもよいことですからね………かく言う僕も、興味のない分野ってありますからな。

 鷲が美しいのは霊峰を睥睨しつつ、我々には届かない遥かな空を飛ぶからであって、翼を幾ら広げようと玄関の剥製に美しさはない。いわんや、風切り羽根を切り取り、鳥かごに押し込めたなら尚更です。(ただし、剥製に魅力を感じる人も無論いますがそれは後でちょっと触れます。ただ、飼育者にはあまり関係ないかと………)

 鷲に似合うのは大空と霊峰で、鯨に似合うのは大海で、馬が似合うのは草原で、カタツムリが似合うのは紫陽花の上………まぁ、此はイメージですけどね。

 イメージですから、それは個人により当然違うでしょう。

 誰かは身近な自然から再構成したものを好むかもしれないし、誰かは自分で見てきた棲息地の空気感と記憶を再現しようとするでしょうし、部屋から出られない人は棲息地の写真と様々な意見を総合し想像力で経験の無さを補填しようとするでしょうが、手法は違えど、その目的とするところは同じです。

 最もその生き物の持つ魅力を引き出す光景とはどんなものであるか。

 心象にある想像を現実に再現する行為が、テラリウムの制作ということなのだと思います。

 ただ、そのような行動は、対象をよりよく知ろうとする知的欲求を土台としていると思うのですが、視野が背景(生物史、博物史を含めた背景)に行かず、その対象の個体だけで止まると、往々にして独りよがりになってしまうようです。

 対象を背景をコミで理解しようとするという場合が、まぁ多分理想的なのですが、無意識裡に、自分の好みを押しつけてしまう場合もあるでしょう。

 一部ではありますがその方向性に推し進められているのが、犬猫でしょう。もっとも、これは五千年ぐらい昔からそうだったのかもしれませんが。とある方曰く、蘭もそうだという話もあるのだとか。
 蘭はまだしも、犬猫に関しては、既にもうその方向に決まってますからね、犬や猫には、まぁヤマネコとかは別にして、今更背景とか求められても、探しようがありませんし。既に帰る場所などないというか、街並みこそがそうだというか。

 犬猫は、既に背景を喪失した(あるいは喪失しつつある)生き物であるが故に、愛玩動物であると言えます(もともは愛玩じゃなかったと思いますけどもー。今現在のも、どうなのかな………う〜ん……)。一部じゃ、対象の認識上の擬人化も進んでるようですし。

 勿論、それがよいとか悪いとか言ってるわけではないです。そういう方向もある、というだけです。
 ただ、なんていうか、両性爬虫類の飼育者って、そういう方向性を好まない人が多い気がしてるのですけどね………まぁ、昨今の現状を見ていくと、そうでもない方もいるようだし、此から二極化していくのかもしれませんが。

 また、その対象となる生物がそれ単体で十二分に魅力的であるとか、周囲を圧倒する存在感を持っている場合も、背景なんかいらないなぁと思わせてしまうことがあります。

 背景と組み合わせた方がよいけど、でもそれ単体で十分格好いいじゃない?なんて場合には、実は環境揃えなくてもよいじゃん、という事になってしまうでしょう。そもそも背景を見ない、そういう考えがそもそもない人の場合も同じかな。

 例えばタランチュラや蠍、昆虫なんかそうだし(でもレイアウトしたくなりますけど………)、存在しているだけで周囲に存在感を発揮する大蛇なんかもそうですかね。奇抜な形をした動物なんかもそうです(ただし擬態するタイプは、擬態させた方が格好いいと僕は思う)。

 あと、研究職の方は、生物を自然から切り取って対象のみで見て分析するので、また違った認識の仕方をしてるのだと思います。此も亦視点と認識の違いでしょう。


 此処で余談ですが、そもそも何かを飼育したいという事に対して中々スゴイというか穿ったというか、ステキな見方をする方がいます。犬猫はよいらしいのですが、それ以外の野生動物を飼育しようという行為は、そうした生物を征服下に置く事により生じる優越感をどうこう、というヤツです。

 野生動物はそのまま自然に棲息させておけばいいじゃない、という意見と一緒に提出されることもあります。うーん、まぁ、マッコードナガクビの例などを見ると、野生動物はそのままに、という意見も納得しなくもないですね(まぁ、ヤドクやってる僕が言えたこっちゃないですが(苦笑))

 話が逸れました。まぁ、野生動物は飼育すべきではない云々は別にして、征服欲どうこうとかそういうのはどうなのかなぁと思っていたりします。

 そりゃ慥かに、力強い他の生命を、征服したいという背徳的な欲望があるのかないのかって、いわれると、そういう理由な人もいるかもしれないな〜と思うので、否定しきれませんし、自分の事もよく分かりませんからね、そうじゃないとは言い切れません。
 強いものであるからこそ破壊したい貶めたいという衝動は、大抵無意識に作用してますが広く人間に散見される特徴で、此の手の欲望は多寡の差こそあれど、有る無いという部類のものではなくて誰でも持っているものでしょうし。

 此を発展させた形として、美しいものを美しいままで再現させたいという欲求は、同時に、人工という飼育下の環境へ、自然美を貶める、自然への征服的行為であると言えなくもない―――という風な主張が出てくる事があります。西欧から輸入された考え方ですが……

 ただ、それは些か、倒錯しすぎな気がします。そんな人もいるかもしれませんが、いたとしても少数派でしょうし。
 そもその手の話は幾らでも深化させることが出来るので、やらないことにします。頭が疲れるし、主張されたら、取り敢えずはユクスキュルあたりに丸投げすることにしましょう(苦笑)

 閑話休題

 対象の生物、加えていうならその生物を取り巻く環境、背景をどういう風に認識するか、というのは、その人がどういう自然観を持っているか、ということになると思います。自然に対する立ち位置、どういうものを自然と捉え、どういうものを自然と感じ、また生物をどういう風に認識するか。
 そうした自然観は、テラリウムをそもそも作ろうと考えたりする動機や、どういう風に仕上げるかということにも強く影響していると思います。

 テラリウムを自然の再現と考えるか。人工の庭園であり、それは自然とは異なるものと考えるか。そも、庭園とは自然の模倣であると考えるか。庭園とは自然を切り取り持ってきただけのもので、やはりそれは自然であると考えるか。或いは、その境界線をそもそも持たないか。

 自然観は、やはり民族――と、言うよりは民俗により違うものなようです。人間の精神が土地に立脚している以上は切り離しようがないからでしょう。日本の中でも土地柄が違えば全然違う。時代性もあります。日本人の自然観も此処最近随分と変化していると言われます。それが良いか悪いかはどうでもよく、変化しているというところは慥かでしょう。

 西欧、特に独逸では、自然への回帰願望というものがかなり強いそうです(独逸在住の知人曰くで、僕が感じた事ではないですが、氏は芸術家なのでそういうのに敏感なんでしょう)。まぁ一度無くなったからこそかもしれません。だから必死で現在作り直そうとしているなら、作り直せると思っているなら、彼らにとって自然とは人間により作り直せるだということでしょうか。

 西欧で非常にテラリウムを作る事が好まれるのも、その辺に由来するのかもしれませんね。作るものであればこそ、人工物で土台を構成することに違和感を感じないのか。まぁ、この辺のことは、細かくリサーチしてみないと分かりようがありませんが……

 何処までが自然か、と言うと日本人の自然観も微妙なラインがあり、例えば水田は、考えてみれば森を切り開いているのでかなり破壊ですが、我々は其処に自然を感じます。松林は本来存在しえませんが、定期的に管理することで存在させ続けてきました。その他の落葉樹の森の多くもそうだし、木の洞すら森によっては人間が管理した副産物です。
 人間が管理しなくなれば、一種だけの樹木で形成されている森や山など遷移し消えゆくばかりです。では、人間の手が入らなければ維持出来ないそれら里山と呼ばれる諸々のものは、自然ではないのか。

 こういう考え方をしている時点で、もう既に過去の概念(観念)を継承していないという事なのかもしれませんね。
 近代は境界を引く事に腐心し続けた時代とされます。概念の曖昧さや隙間が許せなくなっていることは、既に近代的思考に染まっているということなんでしょうね。

 日本人の自然観が近年どう変化しているか、どういう方向へ変化して行こうとしているのかは、僕などにはわかり得る筈もありませんが、少なくとも現時点のそれが、米国とも西欧とも明かに立脚点を異にしているのは慥かと言えそうです。

 と、すれば、西欧的な手法は、結局のところ日本には馴染まないでしょう。手法にしろ素材にしろ、其処に違和感を感じるとすれば、その違和感は表面上の問題ではなくて、もう少し深いところに由来するものだからです。

 或いは、いずれその違和感も薄らぎ、同じになるのかもしれません。ただ、それはまぁ、あと少しぐらいは先の話でしょうし、個人的には、何となく、そうはならないだろうと、思っていたりします。

 何れにしろ、何処のスタイルであろうと馴染まないのも自然なこと。結局は、自分に似合う流儀は、自分で見出すしかないってことになりそうです。

 とはいえ、海外のあらゆるものを輸入し、参考にし、己に合うものは採り入れ合わないものは切り捨て、猿まねと馬鹿にされるぐらいに模倣し、最後には自分たちのスタイルに合う形に作り替えてそこから創造していくのが日本人ならば―――まぁ今はたぶん、学習と模倣の時期だと思うので、深く考えずに、どんどん色々なのを輸入して参考にしていけばいいと思いますけども。好みやなんかは、自然に其方へ流れていくものでしょうから。

 最終的にどういうものを最適なものとして選ぶのかは興味深いですが、その結論が出るのは、まだまだ先になりそうな気がします。

 それがどんなものであるにしろ、自分が好むものは自分で選ぶことには変わりはなく………取り敢えず、僕自身は、今まで通り、深く考えずに気の趣く侭にやってこうかと思います。まぁ、主流がどうとか、もとから考えてませんでしたし(苦笑)

 ただまぁ、なんとなく、出来れば自分の趣向と公の流れが沿ったなら、やっぱりまぁ、嬉しいことは嬉しい気がします。こう考えるとは、僕も気が弱くなったのかもしれません(苦笑)


 明日からはまた、取り留めもなくうつらうかと、他愛ないことを書いていこうと思います。ってか、今回も文章は長いけど、内容が意味不明だってことではいつもと変わらない気もしますがw



 写真漁ってたら発掘された一枚。
 前も同じ事書きましたが、亀の甲羅は昔は楽器に使われていたという話があって、オルセーにあるモローの「竪琴でオルフェウスの首を運ぶトラキアの少女」の足下に亀がいるのはその暗喩らしい。絵画にある亀を探してみると面白いかも。

 …………ところで、この亀の甲羅ですけど、なんてカメですかね? なんか地中海リクガメあたりので、こんなん見た気がするんですが。

 マンダリン、昔作ったなぁ………板をね〜、こうやって曲げて………(苦笑) コラシオーネ作りたかったんですが、設計が出来なくて(設計図ないし)、諦めてそのままですね。 

2006/03/06

 培地100ccで殖やせるハエは、だいたいどれぐらいかを調べる実験手法を考える(副題: トリビアの種に応募しても、遣ってくれないだろうな、という話)


・種親として入れる数を決める
 →雌50:雄50の合計100とすると、毎回その条件で繁殖が為される訳ではないので、実用的な結果にならないよーな気がする。
 →よって、任意に100匹選び出し、それを五本作り、その平均値を計算する(カスリショウジョウバエの場合。キイロだったら倍の200かな?)
 →カスリショウジョウバエの場合、種親は、上陸して一週間以上経ったもののみを使うことにする(僕は混合式をあまり使わないので………混合式の場合は五割五割がいいかな……?その場合は、いれる数も100ではなく150とか200がよい?)

・底面積を決める
 →(直径7cmの円型ポリ瓶で繁殖させるとすると、、3.5*3.5*π≒38.465平方センチ。この時、100cc培地の深さは約2.59cm ただし、足場の紙を入れない場合)

・何日間種親を入れるか決める
 →24時間と48時間でそれぞれ調べる方がよいでしょうか。僕は48時間なことが多いですが。

・ポテトベースで二重にした場合と、そうでない場合を比べる
 →ポテトベースを加える分、コーンベースの方を調べねばならない

・殖えたハエの数え方
 →電子天秤で、100匹で何mgか算出する
 →殖えたハエが全部で何mgかを計り、それを上の数値で割る
 →一日目で上陸したものと、二日目以降上陸したものをそれぞれ数える


 …………こんな感じかな。


 …………うーん、思ったより大変そうですね。

 誰か遣ってくれませんかね?(笑)


 ああ、あと、コーン培地を一度に作って、五日間冷蔵保存してハエを繁殖させることは出来るか、とかも、やったら面白いかな。僕にはあまり意味がない実験ですが(数日分仕込むより、一日に二リットル仕込んでる現在の方が楽ですから………)、興味深い話題であることに変わりはない。

 大体のところは分かってるんですよ。僕の環境(24-26℃気温)での殖やし方だと、水330ccで作る培地の量で、たぶん中型のカエル12〜15匹分ぐらいだと思います。脱脂綿使って上陸させてて、そんぐらいな気がしてます。あ、カスリショウジョウバエの話です。

 だいたい、五匹のカエルがいるなら、一日に水100ccちょいで出来るぐらいの培地でよいと思うのですが………失敗分も考えて、一日に200ccがよいとは思いますが。

 ただ、瓶の形状やなんかでも結構ズレが出てくるでしょうから、やはりそれなりの手法で計測してみなとダメかな〜とか思って、上みたいの考えたんですけど、思った以上に大変そうで困り気味(苦笑)

 ああ、あと温度も設定しなきゃダメか。

 う〜ん、思いのほか面倒そうですね………ただ、一日にどれぐらい仕込めばよいのかな〜という目安にはなるかと思うので、このへんのデータは欲しいな、とか思ったのです。たぶん、誰か既に遣ってるんだろうとは思うのですが、僕がアクセス出来る範囲にはなかったので。どうしようかな〜………

2006/03/06

 ヤスデ情報収集中。

 っていうか、あまりに集まらなくて困り気味です。特に最新情報が集まらない……やはり、アクセスし易い場所に居ないとダメなんですかねぇ。

 まぁ、何事もそうですが、時代性を追って学習するのは重要かもしれん、とか思いつつ、現在は三十年ぐらい前のデータを参照中です。
 ほら、哲学とかも哲学史というか、どういう時代的背景があってその精神が要請されたかっていうのがあるわけじゃないですか。だからこういうのも重要なのさ………と思い聞かせ乍ら読んでいるのですが、覚えた種がどんどんシノニム抹消されていくので非常に切ないです。ああ、覚えた端からシノニムになったり転属だったりで頭が痛い(汗)


 …………やっぱ、最終的な到達点だけが重要な気がしてきたな〜<ぉぃ




 長持ちしてかつハエが好む寒天ゼリーのレシピを考え中。写真のはカシスと葡萄。
 これだけの少量で一日経っても、ハエが寄ってくるのはよい感じですね。寒天の方がゼラチンで固めるゼリーより心なし長持ちなような気が

2006/03/06

 ヤスデ情報収集中。

 っていうか、あまりに集まらなくて困り気味です。特に最新情報が集まらない……やはり、アクセスし易い場所に居ないとダメなんですかねぇ。

 まぁ、何事もそうですが、時代性を追って学習するのは重要かもしれん、とか思いつつ、現在は三十年ぐらい前のデータを参照中です。
 ほら、哲学とかも哲学史というか、どういう時代的背景があってその精神が要請されたかっていうのがあるわけじゃないですか。だからこういうのも重要なのさ………と思い聞かせ乍ら読んでいるのですが、覚えた種がどんどんシノニム抹消されていくので非常に切ないです。ああ、覚えた端からシノニムになったり転属だったりで頭が痛い(汗)


 …………やっぱ、最終的な到達点だけが重要な気がしてきたな〜<ぉぃ




 長持ちしてかつハエが好む寒天ゼリーのレシピを考え中。写真のはカシスと葡萄。
 これだけの少量で一日経っても、ハエが寄ってくるのはよい感じですね。寒天の方がゼラチンで固めるゼリーより心なし長持ちなような気が

2006/03/09

 昨日の日付間違えてしまいました………いやけっして日付が分からなくなったわけではないですよ?。

 ハエの殖やし方は、今まで脱脂綿で集めた蛆(というか蛹)はそのまま培地の上に放置していた。これは、羽化には或る程度の湿度が必要だからで、乾燥した状態におくと羽化の率が下がってしまうから。

 ただ、弊害はやはりあって、脱脂綿の中に入りきらない蛆が零れて培地表面に積もると、それが蓋になってしまい、それ以下の培地の中にいる蛆の成長が鈍化してしまったり、培地中に蛹が出来たりして効率が下がってしまう。

 カビが気になって、出来るかどうかわからないからやってなかったのですが、先日、培地を入れていないケースにクッキングペーパーを敷き、水を含ませて、その上に取り出した脱脂綿を乗せることで羽化させられるかやってみました。

 結論から言うと可能だったのですが、クッキングペーパーが茶色くそまっていたのですよね。脱脂綿についていた蛆の分泌液がクッキングペーパーに浸透したからカビなかった可能性があります。
 脱脂綿で蛆を集めた時に培地の表面に触れてた面積が広かったので、そこにだいぶ多めに液がついてたっぽく………それがないとカビてしまうのかもしれないので、まだもうすこし様々なケースで試してみないと答えは出ないかなぁ………


 脱脂綿で蛆を集めると、かなり厚く敷いた培地で大量の蛆を殖やしても、蛹になる段階の蛆をどんどん取り出していくことで培地の下の方まで消費して蛆が成長する為(無論その数の分だけ産卵されていなくてはなりませんが)、たぶん効率がよいと思うのですよね………脱脂綿をただ入れるだけの方式だと、脱脂綿と脱脂綿の隙間が微妙だったり、蛆の数が多いと脱脂綿が吸収しきれずに培地の中に崩れ込んでしまうといった事も起きるので………適度な段階で取り出したいところ。

 現時点では、全体にぺたっと入れるのではなく、縦に立てかけることで蛆が入る量を調節している(全部入りきったら逆側を下にする)のですが………手間の観点も含めて、幾つか満足出来ないところもあるので、まだ改良出来る気がする……


 そんな感じで、模索の日々は続きます。ってか、誰か此の手の話でお奨めの小技があったらご教授賜りたい(笑)



 東南アジアナメラ全般に言えますが、冬期の湿度不足は否めないのでウェットシェルターとかそういう問題ではなく、土壌を湿らせておくのは必須条件な気がします。

 キスジナメラは湿度が足りないと積極的に水に入ります。本種はあまり入りません。フェレナータは水に入り皮膚病になってしまいます(湿度があっても、温度が高すぎる場合も水に入ってしまいます。断じて水に入るのが好きな蛇ではありませんから、入ってたら環境が足りないのだと考えた方がよいかと)。
 ツマベニナメラは水に入ったりせずに普通に脱皮不全になります(苦笑)
 余談ですが、ツマベニとかって、まずは生かすことを主眼に置いていたときは、そんな余裕もなくてペアなんかまず飼ってから後で調べればいい!なんですけど、生き残って飼育出来る個体が出てくると、ペアが揃わないのがいたく哀しくなってきますね………しかも、雌がいれば雄はまだ入手出来るでしょうが、生き残ってるのは雄なんだものなぁ(汗) これは大抵そうで、なぜか雌雄偏って生き残るのですよ………謎だ………
 まぁ、ツマベニに関しては、CBに期待しておりますよ♪(にっこり)>読んでるかもしれないSさん?w

 キスジナメラや本種は、水入れに入ったところでまず皮膚病にはなりませんが、WCの場合、水が汚れたところに入ったりしたら、何もないとしても、どう考えても良くありませんし清潔さに欠けます。
 冬の湿度管理は最重要項目かも。最近はパームピートだけじゃなく、長毛種も僅かに入れてトビムシとかと一緒に管理する手法を好んでます。

 ただ、導入直後だと、皮膚の状態(怪我)とかとの兼ね合いもあるので難しいところ。写真は脱皮殻がひっかかってますが、病的なものではないので湿度をあげればすぐに脱ぐでしょう……(実際既に脱いでます)

 美しさはまだまだ今一つ。
 とはいえ、この辺は一年ぐらい気長に構えてればいいと思いますけども。傷もすべてふさがり状態は安定してるし、よい感じかな。…………とか、油断したところでコロっと行くのが困りものですが、インドネシアの連中に関しては、そう構えなくても大丈夫―――だと、思うのですがね、個人的には。

 さて、そろそろ、寝かした連中も起こす頃合い………問題は、マウスが全然ないということでしょうか。ああ、去年殖やしたのを手放さなすぎたのかもしれない……(汗)

2006/03/10




 ん〜。どうも、タイリクシュウダと同じく、顔で雄雌分かるっぽいですねぇ。幼蛇のうちは微妙でしょうけど。
 いや、そうじゃないかな〜と常々思ってたのですが、この度プローブ挿して調べてみて、ああ、やっぱそうなんだな、と思ったのですよ(僕は結構成長してからでないと挿さないのです。いやメンドイからですけど(笑)。

 とはいえ、タイリクのそれと与那国で、印象が似てるってわけではなく、微妙にことなりますが。
 幼蛇では雄のほうが好みなんだけど、成体になっていくと、与那国では雌のほうが、タイリクでは雄の方が好みかな〜

2006/03/12

 蟲師の地上波最終話(全26話ですが、20話しか放送されんのです。余談ですがBSフジで五月から放送される事が決まったようですね)を見たのですが、今回はいつにも増して前半動かない絵が多いな、と思ってみていたら、後半の文字の動きっぷりに焦りました。
 なるほど、これがやりたくて、力のウェイトを後半に持っていきまくったのか、と納得した次第だったり…

 一枚絵で場を持たせ、動かすところを徹底的に動かすことで作画のクオリティを上げるという手法は、静かな雰囲気の作品ならば功を奏するのでしょうが、動きが必要なものの場合には難しいので、まぁ万能な手法ではないですが………(その好例がハーメルンのバイオリン弾きでしょうか………いや僕アレは好きなんですけどね(笑) あと、まぁ、知り合い曰く、クオリティを上げるのは書く枚数とかそういう単純な問題ではなく、色々とあるらしいですけど………)

 それを使ったとしても、クオリティを此処まで高水準で維持したのはびっくりです。第一話を見たときの不安は結局杞憂に終わったようで、ブルーレイが出るだろうことを分かっていてもDVDを買い集める僕なのでした。


 蟲師に於ける不満は、くちなわ(大蛇のこと)が、目蓋を閉じた事ぐらいかな(笑)

 ハリーポッターもそうなんですけど、なんで皆様蛇に目蓋を閉じさせたがるのかな〜。ハリーポッターのアレは、何処から如何見てもヨーロッパヘビトカゲですけども。う〜む……まぁ、アレは蛇じゃないって逃げ口上もあるんでしょうけどね(苦笑)

 話を二十話に戻すと、その中で再会の挨拶に「ちゃんと生きておったのだな」という科白がありまして、奇しくも何故か、僕の知り合いも僕に会うと、そういう挨拶をするなぁという事に気付き、ちょっと微妙な気分になったのでありました。

 ギンコ並に僕は危険に見られているのでしょうか………知人曰く、僕を見ると生きてる事の不思議さに気付かされるとか言われますが、そんなのを僕を見ることで思い出さないで欲しい………


どうみても目蓋は閉じませんよねぇ……シュウダは眉っぽさあるかもですけど

 僕はまぁ、ほすぴたるに出入りすることが多く、色々な人に会います。それが理由ではないとは思いますが、別れの挨拶に、さようなら、というのをいつの間にか殆ど使わなくなってしまいました。(余談ですが、マニュアルがあるわけではないですが、伝統として、病院でもどこの科かによって別れの挨拶が違うような気がします。長くなるので割愛しますが、同じ科でも色々あったりとかあるようです。無論、何処でもそうだという訳ではないでしょうが)

 とはいえ、さようなら、の語源を辿ると、例えば「それじゃぁ、また」という言葉のもともとは、「左様なら」であるようです。

 それでは、という言葉も、「それでは」「それなら」「そうなら」「左様なら」という言葉と見比べてみると、あまり意味的には同じである気がします。それ、そう、という言葉のもともとから考えると、ですが。
 ですから、元々の持つ意味合いとしてさようなら、には、再びまた会いましょうという意味がある場合もある筈です。

  勿論、言葉が分かたれた以上、其処には微妙に異なる意味の含みが存在するものですから、同じだという事にはなりません。
 実際、さようなら、という言葉に永久の別離を仄かな暗喩として人が感じるのも事実でしょう。

 それは、左様ならば、という言葉にはやや諦観の意味も籠められているからだと聞きました(というかなんかの本で読んだのです)。避けられぬ別離を、左様ならば致し方ないと受け入れる時にも使う、みたいな。

 まぁ、そういうのを疑問に思ったのは後々の事で、最初は、特に意識せずに、さよならという言葉はあまり使ってませんでした。現在では、自分の中でなんとなく理由付けを見付けてからは意図的にも使わないようにしましたし、意識せずともあまり使わなくなりました。むしろ、使うときに意識して使う事の方が多い。まぁ、完全にではないですが。
 ………ただ、成る可く場所によっては、特に意識して使わないようにしているのは事実ですね。

 特に子供の場合、そこまでのものを考えている訳ではないのに、さよならという言葉を無意識にか使わない子が意外と多い。別れの挨拶は、「またね」じゃ「ばいばい」なんですね。さよならという言葉を使わない訳ではない。たぶん成長する過程で忘れるのでしょうが、子供は結構的確にさよならという言葉を使い分けているのを見ていると感じます。気のせいかもしれませんけど。(形式的な定例の挨拶は別にして)

 だから僕もそういう風に、なんとなく、またね、と答えるようにしているのですが、子供相手の場合は単純にそうしてればよいかというと、これが難しい気がする。

 またね、と言って、次の”また”がいつなのか、という問題があるからです。
 子供の感覚でいう”また”の時に会いに行けなかったら、それは言葉の上で約束を交わした訳ではなくても子供としては、そこはかとなく裏切られた気分になるかもしれません。まぁそこまで行かずとも、なんかがっかりするかもしれない。

 そんな訳で、さよならと、またね、の使い分けは難しいな、と思う今日この頃なのです。だから、「大夫先になると思うけれども(或いは、いつになるか分からないけれど)、またね」という言葉を使う事が多いですね。まぁ、これも御為ごかしなんでしょうけど。

 必要があれば、さようならって言葉を使うと思い出すけども………まぁ、基本は、またね、か、それでは、なのです。僕が文末に書く「ではでは〜」というのは、それでは、の「では」で、まぁそれが一つだと微妙なので二つつなげてさらに微妙にすることでウィット感を出そうとして失敗している訳ですが。

 つまるところ、僕は毎回「それじゃぁ、またね」という風な挨拶しかしないのだから、再会する度に驚くのは辞めていただきたい!という事を言いたい訳です。

 そんなことを主張したところ、去年の医療費の合計金額があわや○(大宇宙の意志により削除)桁に届きそうだという事実を眼前につきつけられ、「せめて二桁をもう少しで切りそう、ってレベルになってから曰え」と怒られました。

 正論って、反論出来ないから嫌いですよっ。まったくっ。

2006/03/13





 Baja ratsnake 別名はSanta Rosalia ratsnake 
 学名はBogertophis rosaliae

 ひじょーに飼い心地が微妙であることで知られてた蛇。とはいえ、トランスペコスも昔はそうだったそうで、CBになって代が経てるとそうでもないという話もちらほらと。だから、現在ではそんな難しくないのかもしれない。

 中々顔が可愛い。そしてあんまり噛もうとしないで基本的に逃げる。応用的にも発展的にも発展途上的にも逃げる。ベニナメラやタカサゴナメラ、シュウダなどは或る程度逃げると、威嚇に走るのですが、此奴はいまのところ威嚇したことがない………
 故に、ピンセットから食べるとかは期待してはいけません。大きさはそんなに大きくなく、80cm内外らしい。余談だが、センティコリスも二メートルを超えるのだと長らく勝手に思いこんでいた。スジオの影響でしょうか(苦笑)

 かつてVPIのサイトでAxanthicの写真を見たときの衝撃は筆舌にし難い(笑)

 バハ・カリフォルニアに棲息しているからバハラット。バハカリフォルニアに棲息してることは知っていたのに、何故かBajaの発音はバジャだと信じており、普通にバジャラットと呼んでいた。バジャラットってよいですよねぇ………と語っていた僕を周囲の人は気の毒な目で見ていたのだろーかと今では思う。こーゆー恥が降り積もると、人間は学名で会話するようになるのかもしれない<そんな間違いするのはあんただけだ

 近くの島にもいるらしい。きっとなんか違うのがいるに違いない!とか想像すると楽しくなってきますね〜。島モノはロマンですよ。

 英語の地名に由来する。ラテン語で読むならばロサリアエー、が正しい……かな?<ちゃんと勉強しろ
 学名の発音を地名に合わせてロザリアエとする人もいる。まぁ好きな方で。
 英名の場合は英語なんだから、発音はサンタ・ロザリア・ラットスネークになるのかな。まぁ僕はメンドイのでバハ・ラットにします。

 乾燥と温かい温度が好きだという、アジアンラットキーパーであるところの僕には対極に位置するような蛇。
 でも、部屋が涼しい場合は、この蛇にバスキングライトとプレートヒーターを利用することで飼育出来てしまうです。ただしエネルギー問題に喧嘩売ってますけども。あと、個人的に思うにバスキングライトいらんかもしれん。
 だって、樹上棲の蛇とかってライトつけとくと当たりに来るですけど、こいつ当たりに来ないのです。むしろ夜間に暖まったところに出てくる感じ。ナイトランプって手もありますが、温度だけが気になってるなら、ヒーターを敷けばいいきがする………

 温度が低いと吐き戻しをし、そうなると吐きぐせがついて弱っていくというので温度は高め。シェルターもヒーターの上と違う場所の両方に用意したが、餌を食べた直後であれ食べてない時であれ、ヒーターの直上のシェルターにはいない。
 ヒーター直上のシェルターは内部が28〜30℃、直上でないほうは25℃程度。しかし、夜間になると、いつもヒーターの上あたりにいる。よくわからない。自然下では夜に暖まった岩の上にでもいるということだろうか。謎です。ケース内部の温度勾配は、温かいところで地面の温度が32、低いところで24℃。空中の温度は25〜28ぐらい。バスキング直下は……あ〜、計ってないっぽいな………(ぇぇぇ)

 
 感覚としては、基本は乾燥ベースだが、おそらく現地では石の下とか、しっとりと軽く濡れた付近にいるっぽい。

 土壌乾燥+シェルター(陶器製)
 土壌しっとり+シェルター(陶器製)
 土壌乾燥+ウェットシェルター(陶器製)
 土壌しっとり+ウェットシェルター(陶器製)

 という環境を用意すると、普通は乾燥した場所にいるが、夜間こっそり観察すると、土壌を軽く濡らした場所あたりでうろうろしていることが多い。現地では水場周辺で捕まえると言うけれども……餌を求めてその周辺にいるとゆーことでしょうか? そんな訳で、餌は水入れの周辺に置いておけば普通に食べている。

 ただし、多湿は嫌うようで、実際問題、多湿の床材では死ぬらしい(椰子殻とか)。しかし、脱皮した皮を見ると、通常の肌の質感から感じる印象そのままに非常に繊細で、乾燥に強い種であるようには見えない。まだ成体には程遠いにしても、だいたいアジアナメラとコーンスネークの中間あたりなのかな。余談ですがトランスペコスは飼ったことないんで知りません。

 脱皮前になると、「土壌をしっとりさせたシェルター」や、「土壌を乾燥させて水を張ったウェットシェルター」にいるが、「土壌をしっとりさせて水を張ったウェットシェルター」とか、「水苔を入れたタッパー」とかには入ってるのを今の所見たことはない(そもそも入ると思った訳ではないが、まー、一応試してみたわけですよ〜) 乾燥状態でも普通に脱皮するかはまだ試しておりません(だって脱皮前にはウェットシェルターはいるのですもの。普段はあんまり入ってるの見ませんけど)


 乾燥した環境では、どんな場所を好むのか?
 地面には赤玉土を使用。その上にウッドシェイブを敷き詰めてシェルターを被せたもの、ウッドシェイブを敷き詰めずにシェルターだけを置いたもの、ウッドシェイブだけ分厚く敷き詰めたもの、の三つを用意すると、最初はウッドシェイブを敷き詰めた上に置いたシェルターに入っていたが、現在ではシェルターだけを乗せたものに入っていることが多い。


 飼育下では乾燥した場所に潜るのが好きだと言われ、実際、赤玉土の小さい粒をどうやったのか知らないが掘り進んで水入れの下に潜り込んだりもしていた。余談だが、その周辺に水を染み込ませてみたら翌日はそこから逃げていなくなってた。多湿はやはり好みではないのか、単純に寒かったのかはまだ分からない。
 潜るのは結構好きらしく、ウッドシェイブを見ると潜って底にまるまってた後がある。そこはヒーターの上じゃなかったので気に入らなくて移動したのかも。


 そんな訳で、上のを読んだなら既にもう皆様お分かりかと思いますが、ぶっちゃけベストな飼い方が今一つよくわからんであります。
 少し前にさり気なく出した時には、飼えるかどうか本気で自信がなかったので流しましたが、エサも食べたし一通り環境試して好むのも分かったし、脱皮もしたしということで出してみました。しかし、気は抜けません………


 ん〜、まぁ、飼いやすいかどうかは、まだ分かりませんな。調子をみて気長にこの辺は取り組んでいくしかありますまい………

2006/03/18

 もともと壊れ気味だった(故に最近は写真出すの少なかったのです、実は)カメラなのですが、現在は失踪中です。何処へ行ったやら……(汗)

 そんなわけで、デュビアを沢山頂いたので(ありがたやありがたや〜<こう書くと、なんか全然ありがたがってないみたいだ………)、この際ばきっとトップに写真を出して皆様を引かせようかと思ったのですが、そういう計画は敢えなく頓挫したわけです。ヤメレと天がゆってるのかもしれません。

 それにしても、デュビアとゆーのは中々に移動が難しいな〜と最近思っています。いや、或る程度のサイズになってりゃ楽々なのですが、チビっこいやつは、下の方に溜まったゴミ(というか糞)の中から選別するのが中々に大変なのが困りものと申しますか……選別しそびれるとエライことになりますし(いや、やばいでしょう?)

 そんな訳で、よい手法はないものかなぁと考える今日この頃なのです。此までは、ひたすらピンセットで移動してました。
 が、これは極めてメンドイです。最後のほうはちょっと禅の境地に達せそうな気分です。ええと、お米に文字書くみたいな?<全然違う

 現実問題として、この方法では数が増えれば比例して手間も殖えるわけで、僕自身の限界などたかが知れています。

 回収用のケースにいれて、シェルターをいれ、そこに移動するのをひたす待つという手はあります。しかし、確実性に欠ける。

 確実に回収出来ることを大前提とし、かつ、楽な手法を考え中です。体力もないので楽さは重要なのです。僕の思考回路の八割は自分が楽をする事で出来ていますからね……

 しかしまぁ、此の手の場合は、結局のところ人海戦術以上のものは思い付かないような気もしますけどね………(孵化効率を上げるとかそういうこととはちょっと違うから………)


 最近……でもなく、まぁ結構前々から、此の手の作業に凝ってるのは、何はともあれコスト削減を目指しているからに他なりません。

 いや、なんてゆ〜か、餌代が冗談にならないレベルで跳ね上がってしまいまして………主に、去年殖えた分を手放さすぎたのが問題かもしれません………あと新規導入も結構あったしな………加えて、今年予定してる連中も、殖えたとしたらキープ組が大半だし………ううう(汗)

 まぁ、(僕の懐的に)危機的なのは蛇だけで、ヤドクは概ね順調だったりします。

 いろいろな手法を試してみて、ノウハウがほぼ蓄積出来たと確信したので、すべてのハエを重ね方式(上にアクロミールを積み、下には自作のコーン培地)+脱脂綿を導入してみたのですが、結果、かなり余剰が出せるぐらいになって、大幅なコストダウンにも成功した感じになっているのです。

 ちょっと太りすぎな個体も出てきている感じで、相当に効率化が出来てしまったようです。喜ぶべきところなのでしょうが、忙しいこの時期に調整をかけるような細やかな作業は心労が殖えるので、微妙な気分ではありますね………(苦笑)

 まぁ、なんにしろ、ハエの繁殖に関しては、重ね方式と脱脂綿方式の組み合わせが、現時点で僕が考える最も効率的であるが故に楽な方式っぽいので、暫くは新しい方法は考えずに此一本で行こうかと。

 脱脂綿の形が崩れないで形を留めたまま蛹の巣にするには、入れる時の入れ方にちょっとした気配りが必要なのですが、これは言葉で説明は難しいものの把握は簡単なので、実際にやってみればすぐに分かると思います。

 ん〜、だいたい、脱脂綿が培地の上全体を覆うのではなく、七割から八割程度覆う状態であり、脱脂綿は完全には培地(及び蛆)には接触せず、面積の一割程度が軽く触れる程度にセットする感じです。こうすると、その触れている位置から蛆は脱脂綿に這い上がりますので。全体が触れるようだったり、全体をまんべんなく覆っては、ぐずぐずになってしまいます。

 脱脂綿が沈み込まないようにするには、紙を噛ますか、培地の足場として予めかんなくずのようなものを使っておくのがよいでしょう。

 数の増加に、手間の削減とコストダウンで対抗する今日この頃。コストダウンとは価格のみならず人為的な作業の削減であり、加えて大切なのは質は据え置きであるという事です。質を下げたら、それはコストダウンになっていませんし、効率化とはいいません(僕の主観というか、僕の定義では、ね)

 しかし、体力の低下に対して、何処まで小手先で誤魔化しきれるか……はてさて…… 

2006/03/21

 ヤスデ情報をもっぱら集めているのですが、現時点で集めきった情報で分かる事は、判別は生きた状態で可能だと思われるが、肉眼では極めて困難であるという事です。

 ルーペや、ちょっとした実体顕微鏡があれば、可能かもしれません。ただ、生きたまま観察する場合(飼育繁殖家であるところの僕にとって、標本にして観察するなどという選択肢は選べませんしね………)、観察は極めて困難です。

 生殖肢を見なくてはならないのですが、タマヤスデの場合、一番後にハサミのようなものがあります。
 が、これ、必ずしもある訳じゃないのですね。種によってはないやつもいるそうなのです(国産種は全種あるようですが………)。
 そういう場合は、胸の部分の板の形など色々な部分を見て総合的に判断しなくてはならないのですが、ひっくり返して開く瞬間をじっと待ってみたんですが、あっという間にひっくり返ってしまい、見えたものではない。
 ひっくり返れないようにアクリルの上においてみたんですが、開く瞬間に前後がちょうど同じバランスでないと、簡単にひっくり返ってしまう。指で調整しようとすれば開かない。開いたとしても、足がわきゃわきゃ動くから観察し辛いことこの上ない。

 そうなると、瞬間を切り取る撮影に活路を見出すしかありません。つまるところFinePixの裏技モードに頼るか、実体顕微鏡で観察しつつ、撮影するという事です。デジカメ搭載の実体顕微鏡の価格はちょっとステキな状況になっております。

 こうなってくると、縦しんば僕がそうした顕微鏡で観察して判別したとしても、意味ある判別方法とは言い難いものがありますよね。

 そんな訳で、最後の手段として脱皮殻に活路を見いだせないか、と考えました。ヤスデの脱皮殻は非常に脆いので、何かしらで固定する必要がありますね。……アクリルあたりで固めるのもよいようですが、あれは、空気を入れないようにして固めるのは結構難しいそうで(酢酸に漬けるとかちらと聞きましたが………)。課題は残ります。

 それから、憩雄の問題があります。
 これはヒメヤスデの仲間(所謂マルヤスデと我々が呼ぶのはヒメヤスデ科の連中が多いです)に存在する変わり種なんですが………

 ヒメヤスデの中で、長寿なもの………交尾をした後でも、雄が死なないで二年から三年生きる長寿なヤスデだと、憩雄というのになる種がいるようです。
 雄の中で成るものがいるっていうんじゃなくて、そういう雄になる種のヤスデがいるという意味。

 憩雄というのは、性成熟した雄が、交接してその後暫くして脱皮をすると、生殖器の形が変形し、交尾をしても実行力のない形態になってしまうのだとか。そういう状態で交尾を試みるのか、それとも試みもしないのかは分かりません。ただ、少なくともこの時期の雄には生殖能力が無くなるのは慥かであるらしい。

 かといって、それが死ぬまで続くというのではなく、もう一度脱皮をすると、もとの形に戻るらしいのですね、これが………そうなると、再び交尾(ってか交接か)が可能になる。で、次の脱皮でまた憩雄になり、また脱皮して………を繰り返し、何度繰り返すかはわからないのですが(たぶん種や環境に左右されるんでしょう)最後には老雄になるのですが、こうなるともう繁殖しなくなって寿命で死ぬようです。

 ざっと観察した感じ、バルバドスグリーンであるとか、ヤエヤマにいるヤスデのうちの小型種のやつは、雄にしろ雌にしろ、繁殖した後の寿命がそんな長くありません。小型種だからってのもあると思いますが………此奴らには、憩雄とかはないのでしょうね。

 では、ヤエヤママルヤスデと呼んでるやとか、或る程度の大きい連中はどうなのか。タンザニアジャイアントとか調べた感じ、どーもそれっぽいのはいないのです。
 んで、もうちょっと調べてみたところ、どうも、この憩雄が出るやつの繁殖形態を調べてみると、卵糞でないタイプ(産卵場所を漏斗を逆さまにしたような形で作り中に産卵するタイプ?)みたいなのですね。
 ですから、卵糞で殖えるタイプには憩雄はないのかもしれません。が、無いと断言するには、今一つ情報が集まってないので(分かってないやつが多すぎるし、同属でも異種なら繁殖形態が違うかもしれない)軽々しく断言は出来ませんから………やっぱり、まだよくわからんとしか言い様がないです、現時点では。

 此が何故問題かというと、普通、生殖器の形で種を判別するのですね、ここら辺の分野だと雄が重要らしいですが……

 そうなると、生殖器の形で種を判別しようとした場合、憩雄だったりすると、形がよく分からないことになってしまう。
 ん〜、これはこの種じゃないようだな、と判断したときの雄が、憩雄だったから違って見えただけだったってのがありそうで、それが今一つ微妙さを増す要因になっておりますな………まだ、僕自身が憩雄の生殖器を見た事がないので、通常の状態とアカラサマに違うならば簡単に見極められると思うのですが………それには、取り敢えず、憩雄になるであろう種を見付けないといけませんしな……


 ただまぁ、余程の小型種を外せば、外観で見極めが出来なくもないかもしれません。いえ、正確には出来ないのでしょうが、少なくとも、最初に此の外見のやつはこの種だと断定出来れば、その殖えた仔はすべてその種だと云う事が出来るのだから(或いは持ち腹で殖えた子供を成長させて雄を見出し、それで判別するほうが確実かな)………その後、殖えていてこの外見なら、前に同定した此しか該当するのないから此奴でしょう、と云うことが出来なくもない。

 趣味の飼育繁殖にあっては、種の同定は最初の一度だけでよいという考え方もありますね。

 ただ、もっと根源的な疑問を呈するとするならば――


 まぁ、ヤスデの種の同定なんか知りたい人っているのかい? ということになりますが(笑)







 …………まー、いいのですよー。僕は知りたいのだから〜。あ、ちょっと出掛けてきます。二日ぐらいですけど。

2006/03/24

 花吹雪と云うと風流なのですが、花粉吹雪になると凄まじくおそろしい感じがしませんか。

 こんばんわ、花粉症な管理人です。それもそこそこひどいです。

 僕は目に来るタイプでして、目はしぱしぱするは痒いはで、花粉症の間はかなり厳しいものがあります。薬は飲んでるのですが、まぁ軽減するという程度の効果は期待できるものの、完全に症状を抑えるには到りません。

 そんな訳で常に目を赤くして歩いているのですが、徹夜明けだと誤解される事もあり………というか、行く先々で、「なに徹夜なんかしてるの! ちゃんと寝ないとダメじゃない!」と怒られております。一歩進むと、「また徹夜ですか。もうどうでもいいです。好きにしてください」と、最初から勝手に怒りのレベルが進んで見捨てられ風です。そこら辺の誤解を解くところから始めなくてはならないので人生は中々に不条理です。アンフェアなのは誰なのか〜(ドラマは面白かったですね〜)

 ふと、花咲じいさんはすごい花粉症(桜の花粉の花粉症だったのです、きっと)で、自分だけ花粉症なのはアンフェアだ! とか思ったので一生懸命に花をさかせたのではあるまいか、という意味不明なことを思い付きましたが、あまりにも子供の夢を壊す真実なので此の事は僕のむねにそっと秘めておこうと思う今日この頃です。


 …………そんな感じで、花粉症の時期になると、どうも意味不明な事ばかり考えてしまいますな。いや、まぁ、花粉のせいですから、いたしかたないかと。

2006/03/26

 部屋整理整頓中。CDはフラッシュ・ディスク・ランチで圧縮かけてるんですが、DVDは圧縮のしようがないですな………どうしたものか………

 さらに圧縮のしようがないのが書籍ですが、この辺は引出に収納することで表面上消すことにしました。地震の時とか安心なのでかなりよい感じです。ただし、横倒し立てて(つまり本が開かれる方向を下にして)収納すると、本というのは両側から押さえ挟んでないと時間と共に歪んでしまうので、注意が必要です。和本などでは、普通に立てて収納していても歪んで来るので、帙は必要不可欠ですよね。
 ソフトカバーの本、雑誌もまた、帙に入れるなり、挟むなりする必要があるでしょう。………いや、ホントに(苦笑)

 平積みというのは、アレはアレでよいようにも思えますが、本のサイズが微妙に違ったりズレたりしなくても、二十冊以上を積み重ねると下の方へ歪みが生じます。だから、そういう意味でも微妙ですね。

 結局のところ、最高の保存方法は本に適合した紙帙なりを用意して縦に収納することになると思うんですが、やはり個人で数千(この数に文句を云わないように。僕の中では今後もずっと数千の予定なのです)に及ぶ紙帙を購入するのは厳しい………最初から化粧箱に入っていてくれれば、ちょっと楽なんですが………そんなのは、まぁ全集とかの豪華本になりますよね。

 豪華版や全集と銘打ってあれば、装丁が優れているので有り難いです。化粧箱入りならそれで完成されているとも云える。
 余談ですが、昭和一桁〜二十年ぐらいの文庫って、意外にハード装丁なんですよね。無論全部が全部そうじゃないですけど、そういうのもある。あれは岩波だったかな………ぱっと思い出せませんが………芥川の黄連雀の単行本がそうだったのは覚えてるかな……他のも結構そういうハードカバー装丁なんで、何十年経っても、縦に保存していても、案外しっかりしてます。
 まぁ、紙質自体は、やはり古いので中身は結構劣化している感はありますが、それでも案外、二十年前の単行本の漫画とよい勝負だし、特に、近年の漫画本はとくにヤワくなっている気がします。う〜ん、表紙は、色合いを華やかにする関係で、どうしようもないのかな?
 まぁ、コストの問題(特に輸送とか保存とか………)もあるのでしょうし、ハードカバー装丁の単行本なんてのは、ニーズが無くなったのかもしれませんが………

 まぁ、単行本とかならまだよいのですが、漫画本になると、豪華版と銘打ってあってもダメなのが多くて悩み所です。
 あの辺はホント全然豪華ではないですね……豪華版と銘打って然るべきってのは、昔のドクタースランプの豪華版とかじゃないでしょうか。 アレはハードカバー装丁だったのが素晴らしかったと思いますね(ってか、あれはハードカバー版だかなんかで、豪華版って名前じゃなかったかな………)。モジャ公やルパン三世あたりは大きいのですがソフトカバーなので、保存に気を遣います。

 最近の豪華版の多くは、カラー再現なのが小憎らしいものの、カバーがソフトなので、長期保存の観点から、完全版と銘打つにあたっては其処に瑕疵があると思うのですよね〜。まぁ瑕疵って程ではないかな。でも、なんにしろ甘いと思う……

 もっと甘いのは、PURUTOの豪華版あたりで、昨日第三巻を購入したのですが、大きさに対して素材としてる紙の質がとても柔いですね。表紙がとくに弱すぎる………豪華版と銘打つならば、その辺にも主眼を置いて欲しいと切に願う今日の頃なのでありました。豪華という言葉には程遠いんでないかな〜、みたいな………

 そんな事を、一枚九百円ぐらいする紙帙(高い………)で本を挟みつつ思う今日この頃なのでありました。保存の為に必要とはいえ、数が数だけに洒落にならない………現在は特に損傷しやすいもの、特に大切なものから優先してちびちびやってるんですが………自作しようかなぁ………むぅ………(−−;

2006/03/28

 清く正しい本棚の作り方というサイトさんを見かけまして、中々よいなぁと思ってみるものの、主に蛇棚によいなぁという思考であって、本棚を作る気は無かったりします。

 …………いや、だって、密度的に壁一面が本棚だったら収納出来るとかそーゆーんでもないし………というか、実のところ、既に壁一面は本棚なのですが収容出来なくて困っている今日この頃ですしね………ううむ………
 最近は、図書館とかでよくある、スライド式の本棚が安く買えないだろうか!と目論んでいる管理人だったりします。

 そういう病的な(と最近人に云われる)話は置いて措いて、蛇棚制作の話(またか)。
 蛇をヤモリに置き換えてもいいし、トカゲに置き換えてもいい(トカゲの場合もやりようはあるものです)。ただし、カエルさんだけは上にぺたっとくっつくので引出は無理ですな。引出で出来なくはないのですが、正直あまりやる意味がないでしょう。

 で、最近ぼんやり考えていたのは、僕自身は油を塗る(主に桐油)でよいと思うのですが、やっぱりそれじゃ微妙だな〜とも思うのですよね。ニスの方が好きだという方も多い模様だし、塗る安全性の問題もある。油の染みた布や紙が発火することがあるという自然油は、やはり安全性の観点から手放しで奨めがたい………

 ニスやペンキも、塗り立てをそのまま使用したら明かにやばい(敏感な蛇には使いたくもない………)ですが、 最近はF☆☆☆☆とか、表記も分かり易いので、どれを選ぶかは分かり易いので、選び方次第ですしね。まぁ、どの程度時間を見て風遠しさせれば良くなるのかまでは知りませんが………

 メラミンボードを使えればそれが一番簡単なのですが、アレはサイズ的にぴったり合うとも限らないので、其処が難しいところです。

 で、最近はスプレー糊を色々試してみております。111あたり。建築用の透湿シート用も悪くないと思うです。どっちがよいのかは耐久性とか再利用性とかも関係してくるのでまだ判断し難く………

 つまるところ、耐久性、耐熱性、耐水性のある素材を貼り付けるという手法。

 まぁ、で、色々とぺたぺた貼ってみたのですが………ん〜、塩化ビニルあたりは、剥がすのが難しいので、再利用の観点からあまりお奨めしがたいところがあるので、例によってPETECのシートがお奨めでしょうか。0.1mmあたりのを貼り付けるとよいかと思います。同じサイズに切ったものをぴったりと貼り付けるのは、スプレー糊の糊の質からして難しいので、大きいサイズでは、大きめのものを用意して貼り付け、裏返して端をカッターでカットした方がいいかもいしれませんな。この辺は個人の技倆で。

 それから、120cmの幅だと、シナ合板、ラワン合板では、やはりたわみが出ますね。すぐには出なくても、だんだん、特に一番下の段に出ます。
 ミリ単位の精度が欲しい幼体飼育向けの場合(底面フィルムヒーターを入れる場合も考えて、個人的には2mmかと思うのですが………)、撓みは致命的なので、中程の柱材(まぁ板でいいのですが)は必須でしょうか。特に、上の方で撓みが出なくて下の方で出る場合、上の方の隙間が増幅される傾向があるので(まぁ捩子止めが下手だったのでしょうが(汗))

 というか、本来は一個ずつの隙間に柱として板材を入れるべきなんでしょう。でも、幅60cmではほぼたわみの問題は無視出来るレベルだと思います。僕は構造的にそうした方がよい場合を除けば、1200mmの半ば600mmのところに柱板材を入れるだけにしてます。

 メラミンボードで作った方に目に見える問題が出ていないのは、中に入れる蛇が大きい関係上、3mm程の遊びを設けたからで、メラミンボード自体がたわみづらいからではない気がします。

 それから、一番下の段の下には、やはり足があった方がよいかも………床から奪われる熱量というのは、結構あるので………まぁ、これは建物の構造にもよるでしょうが。ただ、どういう足をつけるかで耐震性に差が出てくるのが難しいような………

 さて、そんな感じで大夫データが出揃って来たので、大きめの木製蛇飼育ケージを製作しようかな〜とか思う今日この頃だったりしたのですが……

 ステンレス網で天板を作ったら、入れたベトナムライノラットスネークが鼻先をひっかけて折るという最悪な夢を見ました………夢だと分かっていても嫌すぎる………

 いや、まぁ、普通に考えてないとは思いますが(苦笑) …………でも正夢になるといやだから、少し考えておこう………<小心者ですな

2006/03/29

 春めいて参りましたねぇ………

 そんな訳で、春眠暁を覚えずですから、たとえ管理人が眠くて更新を忘れて寝ちゃったとしても、それはしょーがないことだと思うのですよー。るらら〜。


 …………で、ではお休みなさいっ(<何かから逃げるかの如く)



 

2006/03/31




 ヘゴ板やらヘゴ棒やらで制作中(高さの違いはわざとですよ〜)。

 苔の活着方法は試していく心算なので……とはいってもだいたい分かっているので、垂直面で何処まで効率よく上手く行くのかを試すという感じなのですが………一年ぐらい掛けてのんびり経過をみるといたしましょうか………


 ………というか、まだ完成してないのですけどね。途中でヘゴ板が尽きたから……

 でも、ヘゴ板ってあまり売ってませんよね。売っていても数枚とか。蘭がメインの園芸店に行けばそうでもないのでしょうが、大量に買って持って帰るのは非力な僕にはちと辛い……

 と、そんな訳で箱買いすることにしました。

 届く迄の間は、ぼんやり完成形を想像してみる今日この頃です(いや、他のケースも作り替えている最中なのですよ………)