幻想熱帯雨林へ戻る

2007/05 目次

期間
簡単とは言えない
温暖化との戦い
A.gerldi
風と共に去ったほうは、スペルにtが一個多いです
保存の強度
ロンサム・ジョージ
沖縄本島&久米島旅行・第一回「ムカデは探しましたか?」

2007/05/07

 気付けばもう五月ですねぇ………<サボってたことに関してコメントは?


 …………
 …………えー………すみません………今回は素でさぼってました………はい………

 というわけで、GW、皆様如何お過ごしだったでしょうか。僕は主に倒れてました(というよりも、今年は殆ど倒れていると言っても過言ではないかもしれません)。半分ぐらいは寝ていたような気がします。なんでも寝だめというのは体によくないのだそうですね。とはいえ、僕の場合は一年中倒れているような感じであり、つまり貯めている訳ではありません。だからきっと健康的なんじゃないかな、と言い訳してみたいと思います。

 しかしまぁ、サボってたというか、更新が止まってたわけですけど、ちょっと待っていただきたい。何事もですね、観察期間が短いと、なかなか正しい結果というのは得られないと思うのです。

 例えば、「今年は暖冬だったせいでどうも蛇のブリーディングが上手くいかない」という発言は、けっして間違いではないのですが、「じゃぁあんた去年は暖冬じゃなかったけど上手くいったのかい?」と訊ねられたならば、「…………いや、去年も上手くいかなかったよ、暖冬が理由じゃないケド………」という返答になるわけです。

 つまり、今年がダメ、なんじゃなくいままでもなんかずっとダメ、なわけですよ!<!とか言われてもなぁ………

 日本の六月の天気を観察して、「日本は雨が多い地域である」と結論付けたら、ちょっとマテ………という結論になるでしょう?
 やっぱり一年を通してみないとダメじゃないですか。かといって、日本は四季があり、安定した気候である、と結論付けるのはどうか。ずっと今までも此から先も四季があり安定している気候だったのか、気候なのかと言えば、今から七万年ぐらい遡ると氷河期になりますので、日本というか地球は今よりずっと寒かったようです。なんでも熱塩循環が地球全体に上手く巡るようになったからだそうなので、いろいろ汲み上げたりしてるし、温暖化が進んで南極北極の氷が溶け出すとそのバランスが崩れるそうなので、そろそろ氷河期になるかもしれません(良くできてますね)。

 つまりどういうことかと言いますと、ここ二週間ほどは確かに更新が停止していましたが、人類史は五千年ぐらい、まぁ日本史でも千四百年ぐらいはありますので、そうした視野から見た場合、更新されている状況というのが希有であり、更新されていない方がむしろ普通なのではないでしょうか………


 …………うむ、我ながら、これは苦しいってか全然言い訳になってないですねヽ(´_`)ノ 


 ショーケースに入れてなかったものだから埃がー。どうやって掃除したものだか………

2007/05/08

 先日ネットを彷徨っていたら、Oreophis porphyraceus porphyraceusの写真を見付けました。うーむ、やはり居るところには居るのですね(といっても、中国のサイトでしたが)………シュルツの本以来、基亜種の写真って初めて見たかも(あ、インドのヘビの本に載ってたあれは基亜種でしたっけ? 去年ぐらいに注文はしたのですがまだ手に入らないようで………)


 Oreophis porphyraceus laticinctus
 右が状態がよいやつで、左が状態が悪いやつ。同一個体ではなく、別々の個体です。左は入手直後の写真。右は入手してそれなりに経ったころの写真ですが、まぁ右は入手したときから状態は良かったですね。

 死にそうとか、餌食いが悪いとかそういう意味の”状態が悪い”ではないですが――そこまで致命的だとあとは死んじゃうだけになるので――まぁ、写真見れば、状態が微妙なのは分かりますよね。これ以上このままを維持していたら、それはダメだろう、という感じがしませんか。分かり易い指針としては、長さは同じぐらいなのに、重さはかなり軽かったです(数値はメモ見ないとわからんので省略しますが………)

 ちなみに左は此の後に駆虫を施し(チェックしたらアレだったので………)、この後に二度か三度か脱皮して体重も相当増してますが、まだまだ右のやつのような状態に遠く及びません。そろそろ検疫室から出してもよいかなぁという気もしてますが、まぁ今年の繁殖シーズン終わるまでは検疫室で過ごしてもらう予定……
 もう半年も飼育すれば、肉付きは戻るでしょうが、美しさという意味では、生涯及ばないんじゃないかな、なんて思います。他の種類でですが、鱗のあたりがこう、擦ったような状態になっちゃうと、五年ぐらい飼育してもマシにはなりますが、戻りはしませんからね。調子は戻っても、綺麗さは戻らないんじゃないかな………。

 どうにも、最近はCBでも同じようなことが言えるんではないか(一度状態崩して綺麗さが損なわれると、体調が回復しても今一つのままになってしまうのではないか)、という気がしています。
 といっても、アジアンラットの中でもこのあたりとか、マレースジオあたりでないと感じないのですが………(そんな複数個体飼育してる種類は多くないので、どれが、とは言いづらいところなのですが………まぁ、少なくともタイリクスジオは、そういう印象はないですね………スジメあたりは、そういうのありそうな印象ありますが、まだ飼育数が少ないですからね………)
 WCとCBで綺麗さが厳然と違うのは事実。WCの方が過酷な(食生活や温度や周辺湿度や諸々色々)環境で生きてきたのでしょうから………そうした差で綺麗さに差が出るなら、CBであっても一度体調崩したり鱗が痛んだりすれば、WCのように痛んだまま、見た目痛んだ状態のままになりそうな気はします。

 かといって、実際に調べるわけにもいきませんよねー………いくらなんでも……

 ただ、そういう観点から考えると、本亜種とかcoxi亜種とか、CBなら乾燥した環境にウェットシェルターで飼える、というのは、どうなのかな、と最近思ったりします。僕も一時期そうやって飼ってみてたことあるんですけど、数ヶ月で、なんか調子というか、鱗の質感とかが、今一つに見えるな(脱皮直後とかが)……と思ってやめちゃったんですよねー。だから乾燥した環境での飼育というのは、否定はしきれないけど、僕はやらないようにしています。確かに死んだりはしないだろうとも思いますが………
 まぁ、どちらが綺麗に育てられるかは、試してみるしか方法はないのですから、考えたところで結論は出ない問題ではありますね………(そして試す気はないので、この辺は結局謎のまま、ですかねー) 

2007/05/09

 よく、「(敬称略)」っていう表記ありますよね? でも、あれって結局のところ書いたところで敬称を書いていないことに変わりはないような気がするのですが、あれを書くことで敬称をつけなくて良くなるというのは、どういう理由によるものなんでしょうか。

 敬称など、つけてあろうがつけてなかろうがどちらでもよいような気がするのですが(そりゃ、軒並み殆どの人に敬称がついてるのに自分の名前だけなかったりしたら凹みますがw)、あるとないとでは、やはり違うというのは自明の理です。であれば、つけるか、それともつけないか、という二択になるべきではないでしょうか。あれは、そもそも敬称なんかつけるのメンドイしつけたくないけど、「自分の名に敬称をつけないとは何事だ!」という人が出てくるかもしれんから、略って書いておこ、とか、そういうことなのでしょうか(そういう人っているのかどうかは知りませんが………)。

 そもそも、敬意を表して敬称とかって附けるモノなわけで、附けたいと思うから附けるものである筈です。だったら略さないで附けても良さそうなものです。附ける必要がないと感じるなら、略と書く必要すらないでしょう。なのに、わざわざ、敬称を書きたいのですが、敢えて略しました、と言い訳するかのように、敬称略、と書くのは何故なのでしょう。
 書きたくないけど、まぁ書いておくと前述したような文句が来たときに言い訳出来るから、一律最初から書かない予定だけど略って書いておこう、ということでしょうか。それとも、附けたいところだけど、全部に敬称つけたりすると、誰か一人に様を付け忘れたらちょっとシャレにならないから、全部ナシにしちゃおうかな〜、といったような危機管理意識なのでしょうか。だとしたら、それはつまり、そういったトラブルに対応したり、ミスがないようにチェックをするよりも、敬称を略した方が安価である、ということであり、そういったチェックのコストに比べて敬称の優先度は低いということになるでしょう。表記ぐらいで敬意がどうなるとも思えませんから、正直どうでもよいんでないかという気はします。しかし、一般的にはそうではない、つまり敬意とかに拘るからこそ敬称略、ということをわざわざ書き入れているはずです。でも、それはチェックしたりする大変さに比べれば、取るに足らないレベルのことだから、略しちゃう、ってことなのでしょうか。そういうレベルの敬意ってどうだろう、という気はしますが………

 勿論他の理由も考えられます、敬意はあるのですが、地球環境に配慮して、そうしている、なんて場合は有り得そうです。インク代とかレイアウト上、敬称略したほうが省スペースになるとすれば、それは確かに分かります。エネルギー問題は人類社会が立ち向かうべき最優先の課題です。エコロジーは重要ですし、意識も高まってるようです。地球環境に優しいパーム油のなんたら!(洗剤とかでしたっけ?)というが流行りだと聞きました。需要が伸びているそうなので、皆、エコロジーに興味があるということなのでしょう。ちなみにパーム油の需要が増したことで、東南アジア(特にインドネシア)では、熱帯雨林を切り開きまくってヤシを植林する速度がめっさ増してるので明らかに自然破壊を助長してますけど………

 ああ、話がズレました。でも、省エネって意味ではかなり意味がありそうです。全日本で敬称を略にすることで、どれだけのインクが消費を抑えられるか。また、印刷会社でも(新聞とか)有り難いかもしれません。Googleのトップページを真っ黒にすれば年間相当な省電力になるといいますし。

 やはり時代は省エネですよね。何事もちょっとしたことの積み重ねだといいます。電気もそうですが、水を浄化するのにも、何かを育てるのにも、いろいろなカタチでエネルギーは使っているわけですから、水の消費量や食べ残しなんかを抑えるのも重要です。何事も、どんどんまめに省いていくべきでしょう。略せるものは略した方がよいのです。敬称も、略したところで怒る人がいないなら、そうしていけばいいのでしょう。

 ………ということで、僕は今日、ここに新しい省エネスタイルとして、「(オチ略)」というものを考えました。文章のオチを省けば文章量が減らせるし、書く方としても、いちいち頭を悩ませる必要がなくなるので、時間も短縮できます。文末、もしくは文頭でこのように宣言しておけば、「オチのない話を書くなよ!」という耳の痛い意見にも華麗に対応! すばらしい。

 他にも、(身のある内容略)、(役立つ情報略)、などなど多種多様な発展性が見込めます。当サイトのように最初っからそーゆーモノが欠けてるような場合は、「(更新略)」なんてのもアリかもしれませんね………できれば、この「(更新略)」というコメントも省くのが省エネの観点からは望ましい。

 そんなわけで、明日からこのサイトの更新されないとしても、それは人類が立ち向かうべきエネルギー問題への挑戦なのであり、けっしてさぼっているわけではないので、誤解無きようにお願いしたく思います。(…………さて、何人ぐらいが誤魔化され信じてくれるかが問題だ………)


 こいつらって頭のカタチが亜種で結構違いますよね………

2007/05/11

 太陽の日に当たると翌日倒れる管理人です、こんばんは。前世はキノコかなんかだったのかなぁ………

 
 Avicularia geroldi (TESMOINGT, 1999)

 mmm氏が殖やされたブルー・ピンクトゥーです。氏はここ数年、ほぼ毎年、何かしら成功させているところがスゴイですな………

 年に何かしら、最低一種類は殖やすことを目標にしている愛好家は多いことでしょう。僕もそうした一人でありますが、此処数年は何かしら繁殖させることに成功していたものの、今年はまだ成功していない上にその目途も立っていないですね………ブラジリアンピンクブルームの失敗が痛いです。とはいえ、そろそろ雄が出揃うので、夏頃には何かしら動かせると嬉しいのですが………

Aviは幼体時期にしっかり育てるのが肝要ですから、暫くは毎日チェックしてます。毎日観察してというのは久々にやってますが、悪くないですね。

 思えば、なんだかんだで、此処最近、タランチュラの話題を出してませんでしたけど、別段タランチュラが嫌いになったわけじゃないんですよ(まぁ、そう思われてはいないでしょうけど)。数が減ることもなく淡々と坦々と飼育していますし………まぁ、燃え尽きてた感はあったかもしれませんが………

 タランチュラ頁は、刷新するにはいろいろと壁がありまくりですが………でもまぁ、新参連中の頁ぐらいは、作りたいところですね。

2007/05/17

最近気付くと怪我をしている、という謎な状況が増えています。見ると怪我をしていて、結構血が出たりしているのですが、一体どこでいつ怪我をしたのか、さっぱり思い当たる節がない、という状況。うーむ………わけがわかりませんな………



 そんなわけで、雄になりました。まぁ雄を出そうと思って買ったものから出た雄なので予定調和です。メスは既にいますしね。Lasiodoraの雄はどれも微妙な感じが爆発してますね………雄でどの種か見極めるのは、今一つ自信がないです。実物ならば分かりますが………うーん、まぁ、わからなくもないかなぁとは思うんですけど。

 で、これは何かというと、バイーア・スカーレットさんです。誰もが思うことかと思うんですが、どこらへんがスカーレットなんでしょうかね………

 というか、スカーレットってどんな色だか、言葉からぱっと連想出来ますでしょうか。僕はどうもこのあたりの色の連想が苦手なところがあり(好きな色は詳しいんですが………)、例えば「紺色」と聞くと、どうも赤っぽい色だったっけ?黄色だっけ?と考えてしまいます。ゴンギツネのせいだと思います(<ぇぇぇ!?)

 まぁ、言葉で色を表現しようということ自体がもはや有り得ないわけですが。かといって、#C32829とか書いたところで、それはどういう風に決められたのさ!という印象も拭えず………「ああ、キハ58とかに使われてる色でしょ、赤11号だよね」とか言うやつは「帰れ」の一言で終わらされてしまう危険性が高いですよね。しかも、赤11号のがスカーレットと呼ばれるのは通称でして、色見本とかにあるスカーレットは#E12A26になっているのですよー。

 じゃぁ、スカーレットってのはどんな色なのか……いったい誰が決めたどんな色だったというのか………
 今日は、深く考え込まないほうが幸せになれた筈のこういう実に下らないことを考えてしまった憐れな管理人さんのお話です。(<前振り長いよ!)


 スカーレットってどんな色か。赤い感じの色なのは確かですね。では、どんな赤がスカーレットなのか。スカーレットを説明するときに、赤い色、まではまぁよいのですが、緋色とか、紅色とか言うと、ことが違ってきてしまいます。

 スカーレットと緋色は違う色なのですが、スカーレット、というと、日本語だと緋色、を当てることが多いようです(少なくとも赤はあてませんよね)。シャーロック・ホームズの「緋色の研究」の原題は、A Study in Scarletでした。このあたりから緋色と呼ばれるようになったのかは定かではないですが、調べれば辿れそうですね(大変でしょうが………)。

 でも、当然ながら、スカーレットと緋は違う色です。どう違うのかというと、原料からして違いました。

 スカーレット、という言葉の語源は分かっていて、これはペルシア語であるとされています。それはその色合いに染めた緋色の布を指す言葉だったとされます。色布の最高級のものは、紫であった時もありますが、多くの地域と時代で、最高の布であったのは赤だったことは有名です。赤い布は豪華だから身に着けるの禁止!という法令が、古今東西問わずあったのは面白いところですね。それはともかく、ペルシアの赤い布、それに用いられた染料はケルメスです。

 このケルメスは、早い話が貝殻虫(カイガラムシ)の一種でした。ケルメスは……ええと、何語だったかな。中近東の言葉だったかと思いますが……これの言葉の由来まではちょっと知らないですが、いずれにしろ、ペルシアの布は、地中海沿岸に棲息するカイガラムシから採られた染料で染められてました(樫の木につくのが最高級だとかかんとか………)。つまり、植物顔料ではなく、動物顔料です。まぁ、木についてるから、これは植物の実なんだろう、と思われていた時代もあったとかなかったとかありますが………
 時代が下ると、このケルメスはコチニールとかにとって代わられていきます。当然、現代は化学合成染料です。いずれにしろ、このケルメスで染めた赤というのは、日本で云うところの”緋”とは全く違うものによる染色なわけです。当然、比べてみると色は違います。

 日本で言う緋色と何故違う色だと言えるのか。では、緋色はどんな色でしょうか。日本の”緋”は、茜染による緋が大本です。茜染ですから、茜の根が染料です。赤い根をしていたから、アカネ、だそうですですが、現代では茜染は、あまり有名な色ではないかもしれません。日本では、どちらかと言うと、紅花染のほうが人気が高いようなので。紅花の花で染める紅花染は、茜よりも栽培しやすかったし、収穫しやすかったからでしょうか。いずれにしろ紅花の方が人気が後々高くなっていきました。
 紅花は、飛鳥の時代あたりに日本に輸入された外来植物で、エジプトや地中海沿岸からシルクロードによって齎されたと言われています。つまり、ペルシアにも紅花による染め物は存在します。ペルシア絨毯には、紅花はもとより、茜も、蘇芳も使われています(ただし、ペルシアの茜は、イランに自生するモノで、日本の茜とはちょっと違う近縁の植物であった筈ですが)。そもそも、あのあたりから、日本に伝わったわけですからね。
 ですが、紅花で染めたものはスカーレットとは呼ばれませんでしたし、茜で染めたものもそうは呼ばれず、ケルメスで染めたものだけがスカーレットだったわけです(ペルシアの地で染めた茜の赤と、日本の地で染めた茜の赤は別な色でしょうが、その辺はまぁ気にしない方向でw)

 ただし、日本では平安から下ると、紅色に、クチナシやウコンといった黄色染料を交ぜ染めた紅緋(べにひ)と呼ばれるものが誕生しています。緋色に比べて鮮やかで、江戸期以降は、こちらを緋色、と呼称するのだとか。なので、平安時代の緋色と、江戸時代の緋色はまた違うようになったりします(それもあって、本来の茜染めの緋は、誤解を生じさせないためにか、わざわざ本緋、と呼ばれることも)。
 これらは、名前からも分かりますが当然ながらすべてが植物顔料で、所謂カイガラムシなどの赤に比べて、明るさというか華やかさでは、やっぱり劣ります。(この辺のことは、ええと、「すぐわかる日本の伝統色」 「草木染 日本色名事典」 、ちょっと関連する面白さとしては「かさねいろ―平安の配色美」あたりがオススメ……って、誰も興味ないか、こんなの………い、いや、でも、染め色の解明と復元とかの話って燃えません? そのあたりですと、結構面白いのがあるんですよ、絶版なので古書になりますけど、たとえば(見苦しいので以下略))
 
 まぁ、つまり、本緋、紅、紅緋はスカーレットとは、由来が違うし、色素の組成も違うものなので、自然、違う色だし、猩々緋だろうと朱色だろうと違う色になるわけですね(ちなみに朱色は朱砂から来てるので、植物由来でも動物由来でもなかったり………)。

 ですからまぁ、スカーレットの色を、われわれが見たことがあるかと言えば、それはないのかもしれず………見たことのないものを、連想しようがないので、分からなくてもしょうのないことなのではないかと思います。

 さらに、同じ染料使っても水が違ったりすれば、鮮やかさとか仕上がりが代わってきて、かなり違う色合いになるそうなので、だから同じ時代で同じ染料使っていても、どこそこの赤、なんて呼び方が生じたわけですから………どこからどこまでが何か、なんてあんまり厳密に言えたものでもないですし。”どんな素材を染めたか”というのも大きく違ってくる要因ですから、ことはさらに複雑でしょう。絹一つとっても、蚕にも種類がありますから。
 なので、あまり深く考えず、JIS規格とかそーゆーので考えておくのが楽そうですね。厳密に考えちゃって、色について考え出すと、頭がタイヘンなことになりますから………。

 (タイヘンな事になりたい方はゲーテの色彩論あたりからどうぞ。個人的なオススメコースは、ニュートンの基本的なところは義務教育でやると思うんで、まずはゲーテの色彩論に行って、シュヴルール、マンセルあたり行って、この辺あまり知らない人ならラッセルの西洋哲学思想史(原題Wisdom of the Westのこと。現在出てるのかな?)か西洋哲学史を読んでギリシアあたりから読み直して、気になるならそこから関連書籍を読みあさり、再びゲーテに戻って、ヴィトゲンシュタインの色彩について、に行って、それに連なる色彩の哲学を読んだら、共感覚、脳とクオリアあたりへ行くのが泥沼に浸かれるかと思いますよ☆ 色彩心理学は別に読まなくてよいんじゃないかな<ひでぇ)

 そんなワケで、戯れ言はさておき、いよいよ繁殖に取り組める段になりましたが、上手くいくのかどうか………最近どうも失敗続きなので、ここでどうにか成功させたいところです…………(この発言だけなら二行で済むのになんでこんな意味不明に長くなっちゃったのやら………)

2007/05/18




 苔は何故、こけ、という発音なのかというのを調べてたりしている今日この頃です。実は(と、今更書くのもなんですが(苦笑)、最近なかなかに体の調子が芳しくなく、休日など臥せっている時間が長いので、こういう調べ物が楽しいのです。

 最近の悩み所は、本は綺麗に保存したいので化粧箱に入れておきたいのですが、化粧箱に入れておくと取り出しにくく、調べる速度が遅くなるな、ということだったりします。かといって、化粧箱と別々に保存すると空間をとるしな………悩み所ですね。

 そういえば、国会図書館で本を借りると、化粧箱もなければ、カバーすらついていないのですが、あれは誰が決めたのでしょうか。カバーまで含めて本だと思うのですけど、あれでよいのかな。あれでは片手落ちだと僕は思うのですが。

 市立の図書館がするように、ラミネートフィルムでカバーごと貼り付けてしまうのと、どっちがマシかというと、微妙な問題ではありますが………できれば、国会図書館ぐらいは、完全本を保存しておいて欲しいと思うのですが………

 それとも、別にカバーだけ保存しているのでしょうか? それならよいのですが……
 カバーをつけておかないのは、昔は、別に本にカバーとかそんなのはなかったから、その名残なのでしょうか。だからカバーは「本そのものではない」という解釈で、捨てちゃってるとか? それはいくらなんでもないと思いたいところですけれど………今度中の人に聞いてみようかな。

 そうそう、最近、新しい本のカバーの折り方を見付けました。見付けた、というか、我が家にあった昭和二十何年かぐらいの本に、そういう風にカバーがしてあって、これは中々によいな、と思ってやりはじめたものなのですが。
 ただ、折り方がやや複雑なのでパラフィン紙向きではなく、また紙を折るだけではなく切らなくてはならないので、「折り紙は折ってこそ折り紙、切っては切り紙ではないか!」という方には邪道かもしれません。でも、本カバーは折り紙ではないのでよしということで。
 写真を撮っていないので詳しくはまた今度(<話題を二回三回に分けて更新を稼ごうというセコイ手法にも見えますが、むしろこう書かないと、書くのをすっかり忘れる危険があるのですよ、と言い訳してみるのはどうでしょう? 実際、この折り方は数ヶ月前に見付けたものであったりします(苦笑))

2007/05/23

 紙カバー(と、便宜上なづけておきましょう)の被せ方、ちょっと変わった方法編。まだまだ他にもあるのでしょうね。紙カバーの付け方、なんて本はないかな〜………うーん、まぁ、あれか、保存しときたいのは、普通は帙に入れるのかもしれませんな。

 現時点で気付いたこと:カバーにする紙の質が厚いと、折り返しが複数ある関係で向いていない。一般的なカバー紙の厚さがどれぐらいかは謎ですが………まぁ、一般的なコピー用紙とかそれより薄いぐらいのに適していると思っていただければ。多少厚くても、出来ないワケではないですけどね。



 開きます。



 上と下に切れ目をいれます。




 折り紙の要領で、縦の部分を横に持ってきて、横に合わせたうえで、下の部分を折り、さらに被せる部分も、横のラインに合わせるようにし、斜め(写真だと、指で挟まっている四角の部分。織り込む部分の紙のサイズによって四角のカタチがかわってくるので、角度が変わってきます)の部分も折ります。


 本に被さる部分に斜めに折れ目が入ってるのは、単純に僕が間違って最初折ったからです。本来はあの位置に折り目は必要ありません。誤解を与えてしまうか………しまったな………でもまた撮影するのメンドイなぁ<ぶっちゃけてますなー


 ハードカヴァーの場合は、厚み分の余裕が必要なので、折る時はその部分も斟酌する必要がありましょう。まぁ、これはどんな折り方でも同じですが………


 上下共に折った様子。



 本を差し入れる感じで被せて、


 上下を折り返します。最初はぴらぴらしちゃいますが、折り返した状態で暫く保存しておけば、紙が馴染むので気にする必要はありません(ただし、分厚いと、厚みがなんか気になるような気がするので、冒頭の厚い紙は、という話に)。
 本に被せている部分(折り返しの部分ですね)が今回は30%分ぐらいしかありませんが、50%以上はあると個人的にはよいなぁと思いますよいかもしれません。ただ、それぐらいあるにしろないにしろ、側面部分と上下部分を、セロファンテープとかで止めたりはしないほうがよいかと思います。セロファンは劣化が意外に早いので………



 表紙がずれたりということがないので(勿論ぴったりサイズで切ったからですが)、一体感があってよいです。ズレませんので表紙が傷んだりということも少ないかと思われます。

 誰が考え出したんでしょうねぇ………? ちなみにこれが施されていた本は、昭和49年の本でした。この紙カバーが、最初からつけられていたものかは不明ですが、おそらく相当初期からつけられていたものだと思われます。なんでかっていうと、この本というのが、岩波の青帯の文庫本なんで、パラフィン紙がついているわけなのですが、これが全然痛んでおらんのですな………

 良いか悪いかはまだ判断出来ませんが、発展(?)技として、背表紙の上下部分、つまりカットした紙カバーの、折り返しに使わなかった部分を、表紙カバー部分(ヘンな言葉だなぁ………)にだけ被せる、というのも出来ます。ただ、意味があるのかは、ちょっと疑問ですね……………何故かというと、紙カバーは上下から被さっているので、既に十分ズレがでにくい感じで強度が確保されているし、今回はカット部分を、今回は2cmぐらい幅つくりましたが、ギリギリの部分でカットしてしまえば、表紙カバーほぼ全体を覆えるわけなので………でもまぁ、それでも、表紙カバーは背表紙のところが一番痛みやすいですからねぇ………気になるならカバーしておくという手もありかもしれませんが………うーん、でも、自分以外の人が将来的に外す可能性を考慮すると、その際に表紙カバーが痛むかもしれないし、やめておいた方がよいような気がします。

 尚、ノリでこの紙カバーを接着してよいか、という問題は、難しいんじゃないかなーと思います。液体タイプのノリは本に水分が移っちゃうし……紙をしっかり折っておけば、それだけでかなり完成度の高い覆いなので、のり付けしないほうがよいんじゃないかな………

 僕は紙カバーをしたときに背表紙が見えなくなると、どうも不便なので、やはりパラフィン紙が好きなのですが………パラフィン紙ではどうかな………カットする部分から痛んでしまわないかが、気になりますね………折り方自体はシンプルなので、パラフィン紙でも可能なのですが、パラフィン紙は耐久性が低いから………

 最近は、保存は部屋ごとやって、本を持つときに手袋したほうがよいような気がしてきました。まぁ、革装丁とか和書とかは現時点でもそうしてはいるんですが………

2007/05/29

 今日は東ローマ帝国滅亡の日、つまりコンスタンティノープルが陥落した日ですね(第四次十字軍じゃないほう)。僕は、東ローマ帝国はローマ帝国とはやっぱり違うと思うので、東ローマ帝国滅亡は、ローマ帝国の滅亡とは別だと思います。ただ、やはり歴史的にみて、ローマ世界と呼ばれるものの終焉ではあったのでしょう。
 スキピオ・アフリカヌスがカルタゴを滅亡させたときに慨嘆したであろうように、偉大なる文明もいつかは必ず終わりを迎えるものであり―――ローマの神々はコンスタンティヌス大帝の時代に滅びましたし、西ローマ帝国もすぐに滅び、東ローマ帝国を1453年に滅ぼしたマホメット二世や、続くスレイマン大帝により一大帝国を築き上げたオスマン帝国も、20世紀初頭に滅亡しました。滅びは文明の辿る道の先に必ずあるものです。

 そうと知っているからでしょうか。滅び去った文明の亡骸には、何か心打つものがある。おそらくは、誰の心にでも。少なくとも、子供の頃にそれを見せると、良いか悪いかは別にして、かなりの影響があるのではないかと思います。中学生ぐらいの頃合いにフォロ・ロマーノでも連れてったら面白い反応が見られるんじゃないですかね?

 ――というのは、受け売りで、僕の両親は、そういう理由があって、若い頃にイタリアとかに行かせたのだそうです。少なくとも、其の時は何も感じなくても、ずっと後になって、ある時にふと思い出して、考えることがあるでしょう。そうした影響というのは、即時的でも短期的でもないですが、長期的視野で見ると、良いか悪いかは別にして、少なくとも確かに何かが、言葉や文章では伝えきれない、人から人へは伝達することの出来ない何かが、そこにあるような気がします。
 子供の時に見ておけば、少なくとも、今、朧気でも今の精神の時に見ることができるのだから、そういうのは、若いうちに見ておくに越したことはないでしょう。たぶん、こういうのも教育の一つなのではないでしょうか。

 滅び去った、或いは今まさに滅びようとしているものが人の心に落とす影のかたちは、人それぞれでありましょう。それこそ、人の心の凹凸次第で姿形どころか濃さすら変わる。この多様性こそが人類の面白さです。同時に、年若き人が何も感じないのは当然であり、歳経た人が失意と倦怠の果てに受容の域になるのも、また自然なことでしょう。
 で、あるならば、注目すべき議題は、その文明社会が、その総和としてどういう風に”考える”のか、ということかもしれません。


 そんなこんなで、ちょっと沖縄へ行ってました&さぼってました、こんにちは<え、最初と関係なくない!?


 沖縄と言えば、当サイトで最もハッタリ度が高いと名高き頁、琉球蜈蚣地全図があります。ああ、既に訪れているのに、宮古島のことを全く書いてませんねぇ………(遠い目)←つまり、今回のもすぐに反映されないです、すみません、という意味の前振りです。
 それはさておき、今回はいつも中継地としてしか行ってなかった、(僕の中で)欧羅巴におけるコペンハーゲン的存在、沖縄本島へも行ってきました。

 今回は沖縄本島と久米島に行ってきたわけですが、そこで見てきたムカデの写真をご紹介しましょう!














 久米島で見た、Scolopendra subspinipes subspinipes
 なんかわやわやと複数個体がふつーに表面に出てた。森の中とかでも。





 以上、ムカデ話、






 えー………どーゆーことかと言いますと、他の生き物を見るのが愉しくてムカデは全然探しませんでしたヽ(´ー`)ノ





 …………いやねー、まーねー、最初なんてそんなものですよ。だってね、言っちゃなんですけどね、ムカデなんてそう気を入れて探すようなものじゃないもの!<言い切りやがった!
 なんも他のが見られない時とか、目当てのものを見たから、じゃー、剰った時間探すかねー、みたいな、そんな位置付けなのですよっ<ぉぃ………

 ………ただまぁ、真面目な話、それなりに探したけど見つからないという印象があったのは確かです。八重山だと簡単に見つかるような場所で、全然見つからんかったなぁ………と。

 理由は幾つか考えられますが、最たるものは、メスが繁殖期だったのではないか、というのが考えられそうです。四月〜五月ぐらいだと、抱卵しているメスをたまに見掛けるので、それが理由で出てきてなかったのかな〜、というのは有り得るかもしれません。今回は、倒木の裏とかは、あまり探さなかったので………
 ちなみにヤスデは見ましたが、すべてヒラヤスデだったな………サンプル集めれば良かったかな〜、とは思わなくもないのですが、今回のメインは、ムカデではなく蛇だったのですよ。

 沖縄本島と言えば!
 そして久米島と言えば!

 そう、ホンハブ&クメハブです!

 やー、やっぱねー、沖縄に行っておきながらね、ホンハブをお酒瓶の中でしか見たこと無いとかね、そんなのはウフィッツィ美術館に行っておきなら、ボッティチェッリのプリマヴェーラを見ないが如き所業!
 そして久米島のハブはちょっと小型であり、かつ、なんか背中の模様がストライプになるものがあるとか聞き及びます。これを見ずして何を見るかー!ということで、長らく観に行きたいとは思ってたんですが、いっつも八重山に行っていて、本島周辺はパスしていたのでした。(ちなみに酒瓶の中では、ホンハブよりもサキシマハブやタイワンハブが入ってるのが多い、というか、安いやつはそう。最近だと冷凍して持ってきているらしいですが、昔は生きたままばんばん輸入しちゃってたのであり、沖縄に帰化してるタイワンハブとかサキシマハブとかは、全部そーゆー理由です。タイワンスジオは、お酒じゃなくて、革製品目的だったそうですが……どんな革製品だったのかな。取り敢えず、ふざけんなーヽ(`□´)ノ!<スジオ好きとして思うところ多し)

 それにまぁ、あと、ハブと相対するには、それなりの人と行かないとなーと、思うところでもあり。すくなくとも何も知らない人に運転だけおねがい〜という訳にはいかんよーな。それに、取り敢えず、僕は死にたくないので咬まれないよーにしなくては。或る程度見れば、どうにかなるでしょうが……イキナリだとなぁ………(管理人さんはかなりの臆病者なのです)。

 ということで、この道のえきすぱーと(駅検索ソフトではないほう)と御一緒することにしたのでしたー。
 ホントは、23日ぐらいから沖縄入りしちゃって、別の方々と合流しておく(そして、そちらが帰るところをそのまま止まり、御両名と合流)という計画もあったのですが、都合がつかなかったので、今回は断念。

 ちなみに、今回いろいろ怠けており地図とかも見ないで、空港で待っている間に「二時間ぐらいあるからちょろっと美ら海水族館行くか」とか本気で思っていたというぐらい地理を知りませんでした<ぉぃ
 そんな調子な上に、「まぁ、お二人に任せれば見られるであろー」と、物凄く適当なことを考えて旅行に参加した上に、運転も任せきりだったので、ぶちゃけ自分が島の何処に行ったのかさっぱり知りません

 そんな訳で、「だいたい島の北部」とか「南部のどこか」という感じにしか場所を分かってないという、嘗て無い素敵な旅なのでしたー<人としてあんた色々どーよ?
 う〜む…………GPS-CS1Kとか、買っておくべきであったか………(苦笑)

 まぁ、そんなこんなで、時系列とかそういうのではなく、「○○を探せ!」形式でお送りしてこーかと思います。ちなみに、「ムカデを探せ!」が今回です。あと、ヤスデを探せ!は、ありません(笑)