満足度

 前回、「それなりに気合いを入れて制作した場合、趣味に走って力を入れれば、ほぼ100%の満足度が得られる」と書きましたが、まぁ、作る前と後では、大抵、制作者の技倆が上がっちゃったり、そうでなくても、改善すべき点なんかに気付いちゃったりするもので………それの繰り返しが延々と続くので、満足なんてそうそう得られるものではない、というのが正確なところじゃないかな、とも思っています(苦笑)

 ただし、100%出したことが一度もないと、次は、次こそはちゃんとやるけど、今日のところは、の繰り返しになっちゃったて、どこまでも妥協するようになっちゃう危険性は捨てきれません(とくに僕は(苦笑))。ですが、逆に、100%出せなかったら意味がないから、と考えすぎちゃうと、完成や成功を一度も積み重ねないで、なんどもやり直しを繰り返すだけ、になっちゃって、一歩も前に進まない足踏み状態で終わってしまうから、これまた宜しくない(なんか今日は非常に自爆な内容ばかりのような………)。

 結局のところ、そんなことを最中に意識しているようではダメで、終わってみてから、「ん、そういえば、今回はしっかりできたな」と気付くオマケ程度のものなのでしょう、満足できるかどうか、というのは。せいぜいが、「この時の自分にとっての100%を出し切れたか」という程度のもので、メンタリティの問題として「前回は出し切れなかったから今回がんばろ」と思う人もいるかもしれないから、そんな重視せんでもよいような気もします。

 そもそも、個人的に振り返るに、あんまり満足した記憶がないかもしれない………これが達成されれば満足できる!と思った地点に到達すると、「ん、なんかまだ先がありそうだ。あっちを攻略せんことにはどーにも満足した気になれん」というのの繰り返しというか。

 WCのヘビを飼い始めると、最初は飼うのが目標で、ゆくゆくは繁殖させなきゃなぁ………とか思うわけですが、いざ繁殖させると、「ん~、まだCB一世代目だしな。ここからCBを血統管理して殖やさないと……」という病んだ思考になり、或る程度手駒が揃うと、「じゃー、なんかセレクトしてみますか」になるみたいな?

 こうしたブリーディングや、ケース制作だけじゃなくて、品種改良とかもそうだし―――それの最たるものが、研究とか開発とか、学問とか、そういうものなんでしょう。

 これぞ到達点!というようなものは、存在しない――というよりは、常に+1をすればより大きな有理数を作り続けることが可能なように、到達しちゃった時点で、そこは頂上ではなくなるということなのか。

 そりゃ、到達したらしたで、それなりに楽しいんですけど、望んでいたこれぐらいあるのでは!と思ったような達成感というのは、得られないものだし、得られたとしても、なんかそれで終わってしまうので、結構ツマランものでしかないような気がします。達成感が得られないものというのは、その先があるということで、ゆえに愉しみとして果てがなく、だからこそ、面白くて続けていられるのではないでしょうか。

 勿論、このあたりは、その愉しみに奥深さを何所までも見出すことが出来るかどうか、という個人的なものなんでしょうけども。他の人から見たら、「なんでそんなヘビを殖やすのに燃えてるのか?」とか「改良してその部分が良くなると、なんか違うのかな?」と思われてしまうようなことかもしれませんからね。

O. p. laticinctus