太良峡(白神山地) 2008.08

 ある日、ちょっとは健康になろうかな、と思ったので牛乳を購入した。牛乳を飲むと健康になるかは分からないが、健康な人が飲んでいるものを飲んで、さらに不健康になる理由はなかろう。

 管理人は普段、牛乳を殆ど飲まない。別段嫌いだとか飲めないだとか宗教上の理由で断っているわけでもなく、飲む選択肢の中に牛乳が入っていないという感じだろうか。飲めないわけではないが、同じ理由でお酒も飲まないし、黒酢も飲まないし、青汁も飲まないし、煮え湯とかも飲まない。苦渋とかは飲まされているような気はしなくもない。

 牛乳は消費されることなく冷蔵庫の中ですやすやと眠り続け、賞味期限を越えて熟成を開始し、消費期限に近づいたのではないかと思われ始めた開けられてもいないパックを見て、管理人は何故牛乳を買ってしまったのかと悔やんだ。

 しかし、牛乳を生産している方々のことを思うと、このまま破棄するのは赦されないような気がする。取り敢えず鍋に牛乳を入れ、沸騰させてみた。分離しなかったので、どうやら牛乳は飲めるようだ。

 そこでふと考えてみるに、牛乳を温めてしまったのにこれを生かさず冷却するのはガスの無駄遣いである。ガスパイプラインの設置やガスの輸送に携わった人々、ガス開発の為に犠牲になった数々の野生動物たちのことを思うと、これを冷やして飲むのは申し訳ないような気がしてきた。この暑い日々に、暖かい牛乳を1リッターも飲むのは嫌だったというのも理由の49%ほどあった(残りの50%はガス代が勿体ないということである)。

 そこで、管理人は、そのまま生キャラメルを作ってしまうことにした。生クリームが丁度あったし、砂糖は我が家には有り余っている(殊更説明する必要もないかもしれないが、ハエの培地を作るためである)。

 一時間ほどかけて、生キャラメルをつくり、自然冷却、冷蔵の行程を経て小一時間後、キャラメルは固まった(ちなみに生キャラメルのレシピはコーンスネークの頁のキャラメルの項目に前々からあります←ジョークではなくマジなところがもうわけわかめ)。

 しかし、管理人は此処までの作業ですっかり疲れて食べる気力もなくなってしまったので、また後日食べることにしようと思った。ただ、このパターンで行くとまた超熟成(婉曲的表現)させてしまいかねないので、冷蔵庫に入れておくよりも冷凍庫で保存したほうがよいかもしれない。後日というのが一年後になるか五十年後になるか分からないのだ。

 そう思い、取り敢えず板チョコレート大に切り分け、サランラップで一枚ずつくるんで、それらをさらにラップでくるみ塊とし、冷凍庫を開けた管理人は、そこに何やら茶色い物体を包んでいるラップを発見した。

 鈍色の予感と共にそれを手にとって開くと、それは生キャラメルである。先ほど作った生キャラメルが気付かない間に分裂した可能性、冷凍庫の引き出しがタイムマシンに繋がっている可能性など、可能性は無限大な気がしたが、そこに至って、四ヶ月ほど前にそういえば同じようなことがあったな、ということを思い出した(たぶん忘れたい記憶だったから、忘れたのだろう。望みを叶えたという意味で管理人は間違っていないと思われる)。

 取り敢えず四ヶ月前の生キャラメルを食べたが、今の処、食あたりは起こしていない。しかしどう考えても冷凍庫にある生キャラメルを全部食べると健康を害するように思われる。糖尿病とか、そういうのがあるのではないか。何故こんなことになったのか。賞味期限ぎりぎりの牛乳で作った生キャラメルを誰かにあげるわけにはいかない。となれば、これは自分で消費するしかない。健康になることを求めて牛乳を買った筈だったのに、このまま行くと健康を害することは明白である。なぜこんなことになったのか、責任者はどこか(<間違いなくあんただ)。取り敢えず何日か生キャラメルを食べたところ、なんか甘いものを食べたくなくなってきたので、戦略的撤退で一時食べるのを休止することにした。なにか不健康になった気がする。

 それから一週間ほどが過ぎたある日、というか具体的には一昨日ぐらいに、管理人は、ちょっと健康になろうかなと(以下略)