Goniurosaurus orientalis/(渡嘉敷島にて)/ in island Tokashiki 2010.09

 いまあなたがPCでコレを見ているならば、PC上のアイコンを、スマートフォンならば、キーボードを呼び出してみてください。もちろんOSに依存しますが、PCのアイコンや画面上のボタンは、左上から光が当たったように見えるように描かれているものが多いはずです(平面アイコンの場合。立体物アイコンであれば、左上背後から当たっているようになっているものが多いです)。右下の後ろに陰がある。

 このように描かれるのは、このように描かれているものを見ると、人間は平面であっても、そこに凹凸があるように”見やすくなる”からです。ここ百年ちょっとを別にすれば、光は上から降ってくるものだったからでしょう、人間の脳は視界/立体を理解するという処理をする際に、”「上が明るく&下が暗い」と処理がしやすい”という性質があって、脳は最初にそれを試す。このことを古来から画家はよく知っていました。

 ソフトウェア上のボタンは、ただ線で区切るだけでなく、陰をつけられたことで初めて、”浮き上がって”見え、「ああ、ここは”押せそうだ(立体であり、でっぱっている)”」という情報を見ている人間に与えます。文字で説明せずとも「これはボタンである」と訴えかけるデザインなのです。だから、意味の無い仮定であり、わざわざ書くと当たり前すぎるように感じられると思いますが、このようなアイコンは人間と異なる見方をする――肉体構造的に人間と異なる、鳥であるとか昆虫であるとか魚であるとか、そういった生物には、同じ映像を見せても、彼らは押せそう、という風には”見えない”はずです。

 どのような生物種であれ、「見る」というのは、訓練と意識が介在しないかぎりは、とても自動的なものです。だから、写真を見たときも、人間は自動的に見やすいようにみるし、何かがとても”見やすいように”配置されていれば、よりそれを”見やすく”なり、心地よく感じるでしょう。

 光をどこから当てるか――陰翳をいかに配置するか。平面の中に、撮影する人間が「見ている」ものを光をコントロールすることで抽出し、人間に”見やすく”配置できたなら、その写真は撮影者の視点を得ることになり、撮影者の表現となるのでしょう。立体を強調することもできるし、逆に意図的に平面的にすることもできる。平面にした場所に物体の動線を重ねることで動きだけを強調することもできる。遠くと近くを同じ平面上に並べることもできるし、遠くを近くに近くを遠くにすることもできる――

 そんな風に写真を撮影できたら、面白いのだろうな、と思うのですが、そんな風に撮影できたことはないのでした。でも、たまに思い出したように、いろいろ光を配置して撮影を試みてみることも、あったりはするのです。