未来8/22日正午、ふらふらと外出中なう。
…………いや、なんか最近、ツィッターとか流行ってるらしいじゃないですか。時流に乗ろうとして溺れまくること甚だしい管理人は例によって乗り遅れ、やっていないわけですよ(そもそも乗ろうという気もなかっただろあんた、とか思った人は黙っているように)。
ただ、まぁ見掛けることぐらいはあるわけです。あれでしょう、なになにしてますなう的な。現在やっていることとか、思いついたこととか、つぶやけるわけですよね、あれ。
しかしここはツィッターではないわけで、管理人は書けないじゃないですか。システム的に。なうとか。
そこで管理人は考えました(註:管理人さんが考えるとたいてい碌でもないことになります)。
~なう、というのは何かをしながら、現在の物事を書くからああなっているわけですよね。で、まぁ、普段ここに書いているのは過去起こったこととかを書いているわけで。となればあとは未来があるではないか! 未来に起こることを現在の時制で書くならば、なうとか書けるかも!<書きたいのか?
そんな訳で、確定している未来を書いてみました。現在何時何分、みたいな感じで未来何月何日、みたいな。現時点から見たら未来ですが、未来の時点から書いているような感じです。これは流行るかもしれないから特許を取得しておかねば。過去あった未来日記みたいな!<二番煎じだと認めてしまった……
未来が確定するわけがないという意見もありますが、かなり大雑把なこと書けば外れなくなります。
例えば、8/22日正午頃には、約束があるので出掛けているはずです。実際そうでない場合があるとすれば、事故に遭ったときとか、体調がステキなことになったときでしょうが、そういう場合は生死の境を彷徨っている、黄泉路へ旅立っている、などであり、まぁ80パーぐらいは当たってますから許容範囲としましょう(外出先が幽世に変更になっただけの誤差です)。
自己と世界に対する観察眼を磨けば磨くほど、より正確性は研ぎ澄まされていく………人類の科学が深まったことで概ね確実に分かってる未来があるように。簡単なところを挙げれば、ボールを下に持った手を空中で開けば、ボールは落下すると我々は知っている。
多少、複雑でも、自分の未来はそこそこ限定されています。予測するのが自分に関することであれば、より予測しやすいでしょう。もちろん、限界はあり未来予知は不可能ですが……人間の行動の場合は、そこに意思の強度が介在します。
人が、朝起きて、ご飯を食べるというのはそこそこに強い意思(肉体の意思)があるからです。より強い意志を持っていれば、未来の範囲はより限定的になります。何かになたりたい、何かをしたい、という意志があれば、それが達成されるとは限りませんが(技術的な時代性の限界があるからです)、しかし意志が強固であればあるほど、その未来が訪れる強度は高くなりますし、なにより意志なくしてそうした未来は訪れ得ない。
よりその人の性格の本質に迫る意志は、概ね強固です。例えば、管理人の場合は、「なまけたい!」という強い意志があるため、一日後も十日後も一年後も、なまけている筈です<なんか良い感じの話だったのに着地点が…………。
此以外でも、確実さの強度が極端に高い未来も存在するでしょう、大規模な自然現象とかは、そうですよね。細部は予想できませんが、大枠は予想できるものが多いと思います。
そんな感じで、たとえば、ざっと外れないであろう未来を軽く書いてみましょう――、
未来西暦五十億以下省略年、地球があと五秒で太陽に呑み込まれそうなう。暑い。
未来西暦一万三千年、琴座のベガが、再び北極星になったなう。二万四千年ぶり。なつかしやー。
未来西暦2010年8月22日。この文章のあまりの頭の悪さに抹消したくなったなう・・・・・。取り敢えず更新してトップから外そうと思いつくも更新内容が思いつかない。ううう。